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フェリス・ホイール 3


 僕はこの仕事を大抵は、誇りを持って続けることができる。
 お金を稼ぐ、だけなら他にも仕事はある。
 でも、僕が選んだのは窓拭きだ。それも、動く窓なんだ。
 空に近い、地上から遠い、動く乗り物の窓。なかなか誰もがやらない選択肢でしょ。

 夜はカップルがやってきてロマンチックに愛を語るし、はじめて乗るこどもは緊張の面持ちで列に並んでいる。夢見る空間となり、空にハネル。

 ジェットコースターと違って少しずつ動くから、何よりも景色をずっと抱きしめることができるんだ。そんな時にその窓が曇っていたら悲しくなるから、だから僕の仕事は大切なんだ。
 僕を見かけて、ありがとう、と微笑んでくれる人もいる。すてきな夕焼けだったよ、と告げてくれる人もいたね。

 なのに。ほんの時々、なんだか僕はそこいらの屑みたいな気分になってしまうことがある。
 たとえば、ゴンドラを降りたお客さんが、何も言わずにごみを押し付けて去っていく時。掃除係だろ、当然だという態度で、汚いものを見るみたいに。
 ちっぽけなプライドが、砕けて踏みにじられる。

 切符切りのルイ君が僕を手まねきしたら、それは緊急で掃除をしないといけない時だ。僕は窓拭き専門で、床と椅子担当のリコさんもいるんだけど、彼女が不在の時には、散らかったゴンドラをあわてて掃除することがある。僕らがキレイにするまでお客さんを乗せられずに、そのゴンドラはいつまでも無人で回らないといけなくなるから。

 そう。時々、祭りの後のように、ゴンドラの床はお菓子の屑や紙だらけで、窓にはべったりとアイスクリームでお絵かきした手形の跡が残っていたりするんだ。
 そうだね、こどもがはしゃいでしあわせで、それはいい。でも、こんな残骸のままで気にもとめない人がいることが、悲しい。

 そんなことよりも、もっともっとつらい気分になった出来事があった。

 あの日、あれは、君の21日目。
 いつものように窓を拭いていたら、小鳥がコトンと当たったんだ。そのまま垂直に落ちていくのが見えた。ああって思って下を見たら、君がいてくれた。

 そう、君だ。サラ・ターナー。
 まるで予言していたかのように、君は自分の帽子を取って、小鳥の窮状を救ってくれた。僕が戻った時には、小鳥は息を吹き返していた。
「ノウシントウを起こしてたのね。くるくる頭が回っただけよ」
 良かった、本当に良かった。

 でも、僕は、僕のせいだと思った。ぴかぴかに透明に、まるで硝子なんて存在しないかのように、外との一体感をめざして僕が磨いた窓のせいで、小鳥は頭をぶつけた。
 僕は何のために、こんな仕事をしているんだろう。

 観覧車の窓拭きは、絶対にヒーローにはなれない。一度地上を出発したら、15分は降りられない。君がもし危機に陥っても、僕は15分間もただ見ているだけで助けに行けはしないんだ。

 でもその時、サラが言ってくれたんだ。
「私が魔法のチカラを手に入れたら、真っ先に観覧車の窓硝子にバリアを張るわ。近づいたら、ふわっと距離を置いてくれるような、そんな窓にするから」
 僕の髪を撫でながら、大丈夫よって。あなたは悪くないのって。

 近くの高層ビルで、一斉に窓拭きがはじまった。

 外側に上り下りできる簡単な足場を作って、命綱だけでするすると磨き上げていく。
 知っている、彼らは元サーカスの団員たちで、綱渡りや空中ブランコをやっていたんだよね。今もポンポンはねるポップコーンのように、リズムに乗って窓を磨き上げている。
 彼らは悲し気なバンドネオンの音が似合うあの空間で、いつだって風に揺られていた。
 彼らにもテーマ曲がある。僕にはない。仲間のようで、まるで違う存在。

 どんなに落ち込んでも、それでも僕は一日中ここで硝子を磨く。それは僕にふさわしくて、同時に誇らしくて、閉園の時間まで続ける、僕の仕事。

 夜の張《とばり》が降りて来て、夜景と共に、否応なしに移り込む自分が見える。くすんだユニホーム姿の僕は、やけに疲れて見えた。

 僕の休憩時間のベンチには、隣に座る女の子がいる。
 今日はめずらしく、ソフトクリームを二つ持って現れた。
「サラって何かたべるんだ」
「私は宇宙人じゃないから、何か補給しないと生きていけないけど?」

 サラが普通の人のように何かすると僕が驚くことに、彼女はすっかり慣れてしまったみたいで、寧ろそれを面白がってる。無口なくせに、少しずつ自分のことを明かしてくれるんだ。

「ほんとはね、プリンがすきなの。でも遊園地って売ってないの。今度リクエストしておいて」
 プリンか。やっぱりそれは豪華なフルーツに周りを囲まれた「プリン・ア・ラ・モード」なんだろうか。
 執事が「お嬢様、お持ち致しました」とか言う系の。それでは、「プリンセス・ア・ラ・モード」になってしまうか。

 僕がまだ口に出さないうちに、サラはささやいた。
「ふつうのプリンでいいの。さくらんぼは乗っててもいいわ」
 わかった。今度売店のジェシカさんに、伝えてみるよ。

 ねえ、サラ。君はその鍵で観覧車の扉がカチっと開いたら、別世界に行ってしまうの? まるでアリスの物語みたいに。
 そして、それは今日かもしれないんだよね。毎日、その可能性を探るために君は観覧車を選んでいるんだから。

 あたたかかった秋も、日に日に気温が下がって、すっかり寒くなって来た。
 今日は朝から重たい雲が立ち込めていた。もうすぐ初雪がやってくる。

 サラ、君は一体誰なの? どうして僕の前に現れたの?
 君にとって僕が特別じゃない、なんてことはわかってる。君の目に映るものは、きっと最初から選別されている。僕はただの通りすがりの少年なんだ。

 僕は「目の前のことに集中する能力がある」って、よく褒められる。でもそれは、本当のようで、違う視点から見ると、「困った人」というカテゴリーになるんだって。
「集中したら周りが見えない」と同義語だって、ある人が教えてくれた。そうか、頑張ることはいいこと、な訳じゃないんだ。

 コンコン、叩いて音を確かめる。硝子と言うけど、本当の材質はアクリル板の窓を。よくできた外側との境。
 僕はこの世界の偽者なんだろうか。時々わからなくなる。


続 > 


いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。