薔薇色の頬に
風が吹いて、ルノワール展に行った日のこと。
少し待てば、絵の前に行けるくらいのほっとする混み。
このくらいなら、意識で人を散らせる。美しい姿勢のご婦人も多くて、邪魔にならない。
最初の一枚が、少年と猫。 息子以外の少年がルノワールと結びつかなくて、軽く驚かされる。後ろ姿でこちらを振り向く白い肌。その誘うような表情。
こどもの頃からだいすきな画家。本物のキャンバスは、ため息がでる程にこちらに語りかけてくる、立体の矢印で。
黒い衣裳が、風を起こし、輝き放つ、葉夏。
のせられた絵の具が百年の時を超えて、まだ息衝く。
画家が使っていた絵具箱とパレット。絵の具の文字。塗りつけられたまま、残る痕跡。
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薔薇を描くのは、人の肌を表現するための練習。
ドレスの裾が、薔薇色の頬が、私に届けられてきらめく。こころの中の宝石箱に、そっと入れられた私好みの、さりげない霞のようなアクセサリーとして。
二次元の画集では決してわからない華やかさ。陽光の中の、裸の少女の真珠のような艶やかな胸。
指輪をしていたことにずっと気付かずにいたなんて。そのお花のような飾り、くださいな。
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オランジェリーから、オルセーから、どの絵が来てるか、あえて確かめずに訪ねた。
ピアノを弾く少女だった私の、あこがれの一枚があった。知らずに予期せず、驚くのはやはりいい。
ムーラン・ド・ラ・ギャレット。小麦とミルクの焼き菓子の名の集い。
都会のダンス、田舎のダンス。やわらかいほほえみ。この笑顔はこちらに向けられている。
いちばんすきな絵「草原の坂道」が来ていた。
風景なら、その中を散歩したいと思わせるような絵が好きだ。
彼が言う通り、この草原からは、さざ波のように草が揺れる音が聴こえてくる。
少しずつ近づいてくる少女たちのさざめき。バスケットを持って、後ろからついていってみよう。きっとここから、木漏れ日の下のピクニック。
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幾つも幾つも、言葉は書きかけになってしまう。
どれもこれも、自分では物足りなくなる、展覧会。
まったく消化できないまま、ここで語ってしまう。未熟。
ほんとは、こんな感想擬きを書きたい訳じゃない。未到達。
中途半端なまま、ここにあげてしまう、ただのかけら。
もっと深く、甘く、捉えられたら。
自分の中に落ちてきたら、きちんと書いてみたい。
オーギュスト・ルノワール
ただ、ただ、しあわせな時間だったという一言。
画集を繰りながら、時代にまた想いを馳せてみよう。
きっと再び、喚起されていく、ロマンチックな未来に。
「雨と僕の言の葉」 第14話 薔薇色の頬に
これは2016年の国立新美術館での展覧会。
あれは、しあわせな空間だった。
結局、言葉などでは、何も語れはしない。
いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。