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13:17才の寂しさと「雲路の果て/Cocco」

初めて付き合った人は何とか滑り止めの大学に合格し、私も赤点だらけの成績で入学と進学をした。

メールどころか携帯もない時代に高校2年生の私と大学1年生の彼氏、しかも彼は理工系。
付き合うのは困難を極めた。
彼は高校と変わらず授業は朝から晩まであり、バイトで深夜にしか帰宅しない、帰らぬことも度々だ。私は終電が終わって1時間過ぎたあたりで寝たり、家に電話をかけたり。
大抵彼の姉が出て、帰宅していないと教えてくれた。
夜半に家の電話にかけなければならないのも、また勇気が要った。
電話をかけてくることは別れるまでなかったし、互いに試験やレポートが佳境の時期だと遠慮して、半月、長いと1ヶ月以上何にも連絡できなかった。

携帯電話やスマホがない時代の恋愛が想像できぬと若い子が言う。
私の場合は、電話にかけるのから遊びに誘うまで全てが私で、忙しいとはいえ、何故彼からのアクションがないのだろうと不満を募らせた。

しかし何より、私はこれだけ彼のことが好きで、ずっと一緒にいたいのに、彼は私という存在がそれこそ存在価値そのものなのが、つらかった。
この前までは一人でいるのが平気だったのに、自分の中が満たされないと、人にすがりたくなり、温もりに飢えて、目から涙、心からは血を流す。

この辛さが
「寂しい」
という感情だと理解をした時に、私は本当に寂しがりで弱くなってしまった、と、人恋しがる自分を憎悪した。
人を好きになって、その人の愛情や肌や体温、抱き締められる喜びなんて知らなければ、こんなことにはならなかったのにー。
後に聴く、Coccoの
「雲路の果て」
は、人を好きになることを知って17才のずっと泣いていた私で、今も憎悪している私の
「愛に飢えた時の無様な自分」
そのものの姿で、リリース直後、リピート再生のままずっと泣き続けた。

今も寂しさと私は、血みどろの闘いを続けている。


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