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10:弥生さんと「遺書」/Cocco

「泣けないんだ」
宅飲みでいきなり弥生さんは言い出した。
「お兄さんの話?」
と聞いた。弥生さんにはお兄さんがいたが、自死でこの世を去っている。
弥生さんと私は、元々は派遣労働で同じ現場が多くて、喫煙室で馴染みの顔だった。
二人とも人見知りで無口で、会釈する日々が長く続いたが、ある日弥生さんの方から私に
「良くお会いしますね」
と話しかけてきて、近所に住んでいるとわかると、互いの家を行き来して、食事をしたり酒を飲んだり酒を飲んだりした。

大事なことなので二度言いました。

何故大事か?
酔っぱらってるから、互いに割とシビアな話題をヘラヘラ話してしまうわけで、弥生さんの過去は相当シビアなのを、付き合いは浅いものの、良く知ってしまっていたからだ。

「そうだね、お葬式の時も 子供の頃父親に性虐待されたと理解した時も、母さんの男が、100kgの私に手を出してきた時も、逃げて車中泊をした時も。うん」
今呑んでるここだって、お兄さんに先立たれた挙句、母親が恋人を連れて同居を始めたショックで50kg痩せたのを見かねた、弥生さんの遠縁の親戚が無償で貸してくれた空き家だ。

シビアも過ぎる。
体重が半分になるほどのストレスとその過程は想像がつかない。
身を削るのを、本当に人1人分作れるくらいしているなんて、どうやったらできるのか?

「弥生さんは、泣きたいの?」

泣けない、と言うのであれば、泣きたいけど無理ということなのか、と、アルコールで回らない頭で思い、率直にしか尋ねられなかった。
弥生さんも酔いが回ってるらしく、胡坐を組んだまま横に揺れながら、

「どうかなぁ、わかんない。何でこんなこと言ったかもわかんないし」

ちょっといたずら心のようなものが沸いた。

「泣けそうな歌でも流すよ」

PCを借り、YouTubeを起動した。
不謹慎ないたずら心で、Coccoの
「遺書」
を流したくなったのだ。

弥生さんはPCを恐る恐る覗き込む仕草でPVをみていて、曲の盛り上がりと共に目に涙を溜め、2番目になるときには嗚咽でしゃくりあげるしかしなくなっていた。

罪悪感と心配で、今は華奢で青白い彼女を抱きしめながら、背中をさする。

「母が言ったの。なんでフミヅキなの?って。弥生が不幸な目に遭っていて、お前の不幸のせいで私はもっと不幸なのに…お前の方がまだ良かったって」
「つまり、お母さんは弥生さんとお父さんのことを知ってた、と」

それには答えず

「大体さ、7月生まれだから文月、3月生まれだから弥生って、当て字もしないでなづけられたところからして不幸じゃない?」

と、悲しみと怒りが混じった声。
村上春樹の小説で、自分の名前がアメだからと、娘にユキと名付けた女性が出てきたのを思い出しした。
名前からしてネグレクトというのは、名付けられた側は何ともつらいもんなのだな、と、要らぬことを考えつつ、泣かせてごめん、と弥生さんの背中をさすり続けた。



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