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コメディはシリアスより難しい。だが、それでも挑みたいのだ

個人的に「コメディはシリアスより、よほど難しい」と思っています。

「書くのが」ではなく「読者に評価されるのが」です。

人を笑わせるのは、人を泣かせることよりも、よほどセンスや技術を問われるものなのです。

ある人は大爆笑するネタでも、他の人は全く笑わない…

前は大笑いしていたネタなのに、見ると全くおもしろくない…そういうことって、ありますよね?

笑いのツボは、感動のツボより個人差が激しく、その時その時の精神状態に左右されるデリケートなものなのです。

そもそも「笑い」は、何かと軽く見られがちです。

コメディよりシリアスの方が「格上」「上等」…そんな意識はありませんか?

無意識に「お笑い」を「くだらないもの」「とるにたりないもの」と思っていたりはしませんか?

でも、人生には笑いが必要なんです。

ちょっとした悩みやストレスを、笑いで吹き飛ばして忘れてしまう…そんな時間が、人間には確実に必要なんです。

だから自分は、コメディを書きたいのです。

人を泣かせたり、考えさせたりする小説ばかりでなく、思いきり笑わせる小説が書きたいのです。

できることなら「ちょっとしたコメディ要素」どころでなく、ガッツリ「笑いのための小説」「人を笑わせるための小説」が書きたいのです。

なので、文体からして試行錯誤しています。

人が「おもしろみ」を感じるのは、ストーリーに対してだけではありません

「話し方」「口調」「テンポ」によっても笑いは生まれます。

漫才落語を想像していただけると、分かりやすいかと思いますが…

「ちょっとした間」「声のトーン」「イントネーションの使い方」が、おもしろさをより引き立てる…そんなことって、ありますよね?

あるいは「わざとズレた言い回し」「あえて間違った言葉の使い方」が笑いを生むことってありますよね?

(「ヤフー」を「ヤホー」と言ったりetc…)

そういう「しゃべり」「語り」の「おもしろみ」を、小説でも再現したいのです。

ただ、小説には「声」はありませんし、「テンポの良い文章」も、読む人の脳内での読書スピード(スラスラ読めるか・読めないか)によってはグダグダになりかねません

再現できるとすれば「わざと言い回しをズレたものにする」ことや「あえて言葉の使い方を『普通と違う』ものにする」ことくらいなのですが…

これが「投稿小説」という世界では、なかなか難しいかな…と感じています。

「書くのが」ではなく「読者に評価されるのが」です。

どうも「あえてくだけた文章」を書くと「能力が低い」と誤解されて評価してもらえないような(そもそも真っ当に読んでもらえていなさそうな)、そんな空気を感じるのです。

(その小説投稿サイトに集まる「読者層」の問題なのかも分かりませんし、そもそも「笑いのツボ」が合わないというだけの話かも知れませんが…。)

自分も、そういう事態を想定して「コメディを書く際には、『こういうのもちゃんと書けるんですよ』とアピールできるよう、まじめなシリアスも一緒に書く」という方針をとっているのですが(べつにコメディのバーターとしてだけシリアスを書いているわけでもないですが)…

コメディ作品を読んで「こいつ国語力無いだろう」と思われた方が、別の作品(シリアス)に手を伸ばされるかどうかは分からないので(というか、伸ばさない気がするので)あまり効果は無いのかな…と思っています。

(…そして、文章だけで「コイツ、国語の能力低いだろう」と勝手に判断された方が(いたとして)、津籠の高校時の国語の偏差値を知ったら、世の中に絶望するかも知れないなぁ…と。)

そもそも「コメディに特化した、笑いのための文体を開発する」「とにかく人を笑わせることを目的とした小説を書く」という考え自体が、この世の9割方の人間にとって想定外なのかも知れませんが…。

真剣に熱心に笑いを追求しようとすればするほど「ふざけている」と思われて評価を下げられるのだとしたら…何だかやるせないなぁ、世の中が味気なくてつまらないなぁ…と思います。



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