小説の評価は「その時の気分(精神状態)」に左右される
「同じ小説でも、数年後に読み返すと『新たな発見』がある」「数年前とは全く違う視点で読める」……そういう話って、よく聞きますよね?
小説自体は変わっていないのですから、変わったのは当然、読者の方ということになります。
同じ小説であっても、読者の中身(心・頭脳レベル)が変われば、全く違った物語に見えてくることもあるのです。
人生経験が増えたことによる「成長」も、そんな読者の(中身の)変化のひとつではありますが……
その日その日で、毎日少しずつ変わる「気分(精神状態)」もまた、読書に影響を与えているのではないでしょうか?
たとえば、気分が落ち込んでいる時に「暗い話」は読みたくない……あるいは逆に、暗い気分の時に「明るい話」を読むと心がささくれる……そういうことが、あるのではないでしょうか?
ならば当然、小説に対する評価も、その時の読者の気分(精神状態)の影響を受けるはずです。
世の中の何もかもに反発したい気分の読者は、どんな小説を読んでも「反発」しか覚えないかも知れません。
世の中の何もかもを知りたいと願う、好奇心のカタマリのような読者は、たとえ自分とは真逆の価値観・感性の作品を読んでも「こんな考えもあるんだぁ」と、おもしろく読んでくれるかも知れません。
その小説を「おもしろく」読めるか、「つまらない」ものにしてしまうかも、ある程度、読者の気分(精神状態)次第なのです。
自分は読書をする際、「なるべく心がフラットな状態で」読むことを心がけています。
せっかく「おもしろく」読めたかも知れない物語を、自分のその時の気分のせいで「台無し」にしてしまっては勿体ないですし、その作品に対しても失礼だと思うからです。
(そんな感じで、心が整っている時にしか読まないせいで、最近は積読がどんどん増えてしまっていたりもするのですが…。)
また逆に、小説を読んでいてマイナス感情を覚えた時には「心が疲れているのではないか」「精神的な視野が狭くなっているのではないか」と、自分を省みることがあります。
(そうやって、読書を心のバロメーターにするのは、メンタルマネジメントをする上でとても便利です。)
しかし世の中には、自分の「気分の悪さ」を、小説のせいにして「八つ当たり」する読者も、いないとは限りません。
たとえば「自分はこの世界で、こんなにも報われずに生きているのに、この小説の主人公は当たり前に報われて、気に入らない」→「こんな小説はくだらない」……といった具合に……。
もちろん、小説をどう読むか、そこから何を感じるかは、読者の自由です。
また、作者の側でも「意見の押し付けになっていないか」「自分とは真逆の価値観を持つ人を傷つけていないか」等々、気を配れること、工夫できることはあるでしょう。
しかし……読み手のその時その時の気分によって、「くだらない」「つまらない」と、小説が簡単に切り捨てられてしまうとしたら……それはやはり、とても「悲しい」ことに思えるのです。