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「学生のうちにやっておいて良かった」「やっておけば良かった」と思うこと

学生時代はスキルが足りず、なかなか1つの小説を完結まで持っていくことができませんでした。

なので当然、どこかへ小説を投稿するどころでもなく…

ただひたすら、設定や物語のアイディアをノートにまとめたり、小説に使えそうな知識を蓄えたりしていました。

そんな学生時代を経て、今、「学生時代に、これをやっておいて良かった」と思っているものがあります。

…と言うか「学生時代には、絶対にコレをやっておくべき」「むしろ自分は“足りなかった”」と思っていることがあります。

それは、知識の収集でも、小説のネタ作りでもありません(←ただし、これらもやっておくに越したことはありませんが…)。

学生時代にやっておくべき「一番大切なこと」――それは、学生のうちにしか味わえない経験や想いを「記録」しておくことです。

たとえば「学園モノ」の小説を書きたい時、学校行事や授業風景、学校生活の中の何気ないワンシーンが、ストーリーを考えたり、場面を描写する際に大変役立ちます。

今現在まさに「学生」をしている方々は「そんな“当たり前”なこと、わざわざ記録する意味がない」と思われるかも知れませんが…

人の記憶はわりと「いい加減」で、忘れるわけがないと思っていても、いつの間にか詳細が曖昧になってしまったりするものです。

そしてそんな「曖昧になってしまった細かい部分」こそが、小説ネタ作り(特に、シーンの中での細かな描写)で「使えそう」な部分だったりするのです。

何より大切なのが、そんな「学生時代のありふれた毎日」「まだ大人になれていない、子ども時代」の中で「自分自身が感じたこと」です。

「その時感じた想い」も、時間の流れとともに曖昧になり、「うれしかった」「悲しかった」程度は思い出せても、「なぜ・何を・どんな風に感じたのか」といった「詳細」は、いつの間にか思い出せなくなったりするものです。

そもそも、大人になると「子どもだった頃の自分」のことを、何かと卑下し、軽んじがちです。

「十代なんてまだまだコドモ」「大したことなんて考えていない」と、見下してしまいがちです。

細かな記録を残しておけば、後で読み返した時に「この歳で、もうこんな深いことを考えていたんだ」とハッとさせられたりするものですが…

そういった記録が無いと、そんな当時の「思考」や「想い」さえ忘れてしまうのではないでしょうか。

確かに「大人になった今」と比べれば、学生時代はまだまだ知識や人生経験が少なく、精神的視野や思考が狭く・浅くなりがちです。

しかし、その「まだ世の中のことがよく見えない」「上手く生きられない」からこそ生じる「葛藤」が、小説を書く上で必要になってくることもあるのです。

特に、自分の小説を未成年の読者に読んでもらいたい場合…

そんな「まだ大人ではない」「成熟していない」思考や視点が、共感を得るために、とても重要になってくるのです。

十代の気持ちは、十代の時にしか分かりません。

そして、書き残してでもおかないと、容易く失われてしまうものなのです。

自分は学生時代、勉強や睡眠の時間を削ってでも、その時自分が「感じたこと・考えたこと」、当時の自分に「見えていた世界」をノートに書き残していました。

(当時から、それが「価値あるもの」と理解し、「忘れたくない」と思っていたからこそ、そうしていたのですが…。)

そしてそれが今、思春期の悩みや痛みを描くのに、とてつもなく役立っています。

…ただ、自分の場合は「自分や他人の内面」ばかりを書いてしまったため、学校行事の詳細や授業のアレコレが曖昧になってしまい「その辺をもっと細かく記録しておけば良かったな…」と後悔しているのですが…。

(修学旅行の「しおり」など、学校行事の1日の日程が分かるものなども、もっと保存しておけば良かったな…と。ただ、同じ「学校生活」でも、「世代」が変わってしまうと、ジェネレーションギャップが生まれてしまうこともあるかも知れませんが…。自分の学生時代、タブレット学習なんてありませんでしたし…。修学旅行先や学校の設備さえ、数年変われば変わってしまうことがありますし…。)



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