世界を広げる「他視点」と「多視点」
青春SSオムニバス集「青過ぎる思春期の断片(青春断片)」は「学生時代の自分に読ませてあげたい物語」がコンセプトなのですが…
そんな学生時代、自分が実際に読みたい・知りたいと思っていたのが「自分ならぬ他人の思考」「多角的な物の見方」でした。
思春期というものは、多かれ少なかれ「生きづらさ」に悩み苦しむものだと思うのですが…
自分はそんな「生きづらさ」「苦しさ」を「自分が世界を知らないせい」だと思っていました。
世間知らずで物知らずで、自分の殻に引きこもっているせいで、上手くいかない――「正解」の言動が選べず、間違った選択ばかりしてしまうのだと…。
そして「もっと世界を知ることができれば、こんなに悩んだり苦しんだりしなくて済む」と思っていました。
具体的には「自分とは違う『他人』の物の考え方」を「できるだけ多く」知ることができれば、「正解」を選べる確率が上がるのではないかと…そんな分析をしていました。
人の物の見方・考え方は、1人1人違います。
自分にとっては「正解」な言動でも、他者にとっては「間違い」で、相手を怒らせたり傷つけたりしてしまうことがあります。
ならば「他人の思考パターン」を多く知れば知るほど、そんな「自分と他人のギャップ」に気づき、「(相手にとっての)間違った選択」を修正していくことができるのではないか…そんな風に思っていたのです。
行動範囲も狭く、人生経験の少ない学生時代は、とかく精神的な視野が狭くなりがちです。
自分の生活圏内を世界の全てと信じ、その「外」にある世界に気づけない…そんなことが多々あります。
なので、そんな「世界の狭苦しさ」に苦しみもがいていた「あの頃の自分」に「読ませてあげたい」のは、「自分以外の他者の視点」そして「なるべく多くの異なる視点」なのです。
…とは言え、大人になった今も、それほど広い世界、それほど多くの視点を学べたわけではないのですが…。
しかし「なるべく多くの『人間』を描こう」「なるべく様々な種類の悩みや苦しみを描こう」と目標を立てるだけでも、意味はあると思っています。
実際、執筆を通して新たな視点、新たな物の考え方に気づくこともできますし…。
ただ…執筆を続けていて、少し気になることもあります。
それは「現代人は意外と『自分とは違う他人』の物の考えなんて、知りたがっていないのかも知れない」ということです。
「自分と同じ考え方」「自分と似た境遇の人間」のことは支持しても、「自分とは違う考え方」「自分とは真逆の人間」のことは受け入れられずに拒絶する…そんな人間が増えているのかも知れない、と。
昨今ネットの世界では「フィルターバブル(フィルタリングバブル)」や「エコーチェンバー」が問題視されてきています。
「その人好みの情報しか出て来ない」「似た意見の人ばかりが集まる」…そのことにより、ますます情報や意見が偏り、「自分には興味のない情報」「自分とは異なる立場の意見」が見えなくなる…
それは、とても恐ろしいことです。
何せ、見かけは「自分の世界には自分好みの情報しかない」「自分の世界には自分と同じ意見の人しかいない」ように見えても、それはあくまで「見せかけ」のことで、実際は「違う」のですから…。
ネットのアルゴリズムに騙され、知らず知らずのうちに「幻の世界」を「本当の世界」と思い込まされ、ズレた言動を選び続けてしまう…
まるで、ブラックな近未来SFの「破滅フラグ」のようではないですか。
そもそも創作者にとって「自分のニーズばかりが見えて、他の人間のニーズが分からない」のは死活問題です。
(創作者のみならず、企業経営者やマーケティング担当者など、他にもコレが「死活問題」になる人間は多いと思います。)
なので、自分はブラウザを使う時、マメに検索履歴やクッキーを削除しているのですが…それでも最近はフィルターバブルを排除しきれていない気がします…。
こんな状態ですので、おそらく「自分の目に見える世界だけが、この世で絶対のもの」と信じ、それ以外の視点や考えを受けつけない現代人は、増えているのではないかと思われます。
また「自分と同じ属性のモノだけが集まる、居心地の良いバブルの世界」に慣れ過ぎて、「バブルの外の世界」を受け入れられない人も、増えているのかも知れません。
こんな時代に「他視点」や「多視点」を書いても、「たまたま主人公と同じ立場・考えの読者」にしか評価されず、それ以外の読者には酷評されてしまうかも知れません。
そもそも「オムニバス」で、作品ごとに主人公が変わりますので、そういう人たちに評価されるのは全体の何割かの(たまたま主人公の属性が同じだった)作品に留まり、他の「属性の違う作品」は評価されないかも知れません。
割りが良いか・悪いかで言ったら、確実に「悪い」のかも知れませんが…
しかし、学生時代の自分と同じで、「自分に見えているものとは違う世界」「自分とは異なる人間や人生」を知りたがっている読者は、どこかに確実に存在するはずです。
自分とは異なる立場や物の考え方を、なるべく多く知りたいと思っている読者は、きっといるはずです。
たとえそれが「少数派」だったとしても、そんな読者へ向けて物語を書くことは、きっと意味のあることだと信じています。
むしろ、そんな少数派のために物語を書く作者は「かなりレア」でしょうから、マッチングが上手くいきさえすれば、確実に需要はあるはずだと思っています。
(ただ、その「マッチング」が上手くいっていないのが、ネット小説界および出版業界の最大の問題点なわけですが…。)
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