一時的な成功のための戦略でなく「物書きが本当に幸せになれる」戦略を考える
小説投稿サイトで上位を獲るには「戦略」が必要だと言われています。
(あるいは、戦略さえも上回るレベルの、とてつもない「運」や「めぐり合わせ」が必要なのではないかと…。)
既に様々な方が、様々な戦略や考察をネット上にUPしてくださっていますが…
それらを読んでいて、時々強烈に感じる「あること」があります。
それは「果たしてこの戦略の先に『物書きとしての幸せ』は存在するのだろうか?」という疑問です。
一時的なポイント稼ぎ、少しでも人目に触れるための露出の仕方etc…
小説というものは、とにかく読まれなければ評価も何もあったものではありません。
なので、読者の興味を惹くために少しでもポイントを多くしたり、ランキングに載ったり、インパクトのある露出の仕方を狙ったり…というのは、分からないでもないのですが…
それだと結局「読者を『受け身』にしてしまう」ばかりになりませんか?
読者が自ら作品を探し出そうとせず、目につく作品・目立つ作品にばかり手を伸ばしてしまう――そんな状況をみすみす生み出し、エスカレートさせてしまうことになりませんか?
それは、作者が常に作品をアピールして「目立たせ続けなければならない」ということを意味します。
どんなに「中身」のクオリティーを上げても、「目立たず埋もれた名作」は見出してもらえず、読んでもらえないということを意味します。
「小説のクオリティーを上げるための努力」と「アピールのための努力」は別物です。
もちろん元から「アピール大好き」「アピールのための努力は苦じゃない」という方もいらっしゃるのでしょうが…
そうでないなら「小説執筆とは別の部分に力を割き続けなければならない状況」は、まるで「地獄」です。
そもそも「目についた作品・目立つ作品にしか手を伸ばさない」というのは、読者にとっても大きなマイナスです。
上にも書いた通り、小説のクオリティーとアピールは別物なのです。
アピールが上手く目立つ作品が「おもしろい」とは限りません。
そもそも人の好みは十人十色で、ランキング上位が自分の好みに合った「おもしろい」小説かどうかなど分からないのです。
自分の好みに合った「本当の意味で『おもしろい』小説」は、自らの選書眼&検索テクニックを磨いて探し出していくしかない――自分はそう思っているのですが、そうは思わず「ランキング上位や数値の高い小説を選べば面白いだろう」と単純に考えている方も多いのではないかと思います。
そしてそこに「おもしろい小説」が見つからなかったら「もうこのサイトには面白い小説なんて無い」と去ってしまう方もいらっしゃるのではないかと…。
本当は自分の好みの「ど真ん中ストライク」を突いた作品があるかも知れないのに、たまたま目につく場所にそれが無かったというだけで、諦めてそのサイトを去ってしまう…
それは読者にとって「好きになれるはずだった作品との出逢いを逃す」もったいないことであり、作者にとっては「自分のファンとなってくれるはずだった読者の喪失」であり、サイト運営者にとっても「ユーザーとなるはずだった人間をみすみす逃した」ことになります。
「目立ったもの勝ち」な戦略は、結局のところ、作者にとっても読者にとっても(そして運営さんにとっても)不幸な結果を招くのではないでしょうか?
既存の戦略の多くには「物書きを幸せにする」(そして読者をも幸せにする)という視点が欠けているように思います。
自分の考える「物書き」の幸せとは「その作者が『本当に書きたい作品』が書けて、それを『その作品を求めている読者』に見出してもらえる」ことです。
無理に流行に合わせる必要もなく、小説執筆の時間を削ってまでアピール戦略にいそしむ必要もなく、全力で自分の小説のクオリティーを追い求められることです。
自分の夢見てきた世界、心に眠る物語を、最高の形で作品にでき、それを読者という「他の誰か」と共有できることです。
既存の戦略の多くは、それとは真逆の道を突き進んでいるように思えてならないのです。
目立つ作品にしか目がいかない読者では、同じ作者の作品であっても、目立たずインパクトのない作品には手を伸ばしてくれないかも知れません。
「本当に書きたい作品のために、今はインパクトのある作品でファンをつかんでおこう」と思ったとして、その「本当に書きたかった作品」を読んでもらえるとは限らないのです。
数字や人気につられて集まってきただけの読者は、数字や人気がなくなった途端に作品も作者も見捨てて去っていくかも知れません。
実際、書籍化されたような「かつては確実に人気があったであろう作品」でさえ、露出のない時は1日0ポイントという状況を見たことがあります。
(逆に、それまでポイントの低かった作品が、新刊の情報がTOPページに載っただけで一気にポイントが激増したという状況も見たことがあります。)
ポイントや人気を集めて「成功」したとして…それは決してゴールではなく、露出の有無で簡単に人気を左右される儚いものなのかも知れません。
今の時代は特に、情報の新陳代謝が激しく、一時的に人気を獲ることができたとしても「それを維持し続けること」が難しい時代です。
もし、必死に戦略を頑張った果てに、自分の幸せが「これではなかった」ことに気づいてしまったなら…
これまで心を裏切り、無理をしてまで頑張ってきた戦略が「自分を幸せにするものではなかった」ことに気づいてしまったなら…
その時、人は空しさを感じずにいられるものでしょうか?
(少なくとも自分は、そんな未来を頭でシミュレーションして「いや、ポイント戦略に力を入れ過ぎるのはヤバいな…」と思ってしまったわけですが…。)
ならば、物書きを幸せにするためには、どうしたら良いのか?
それは「読者の意識を変えること」そして「読者と作品のマッチング性能を上げること」です。
(昨今のネット小説界を見ていると、どうも変えなければならないのは「読者」の意識だけではない気もしていますが…。)
「ランキング」や「目につくところ」の作品にばかり手を出すのではなく、読者に「自分の好みに合った作品を自分で探す」という意識を持ってもらうことです。
(「自分の好み」に合わない作品は、他人が「おもしろい」と言ったところで、結局のところ「おもしろくない」ですし、逆に他人には不人気でも、自分の好みに合っていれば最高に「おもしろい」――その当たり前な「前提」に、まず気づいてもらうことです。)
そして、読者がそれを探した時に「ちゃんと見つかる」システムを構築しておくことです(←ここが重要)。
(「意識改革」はともかく、「システム構築」はちょっと難易度が高いかも分かりませんが…。一応、「タグ」からの検索をしやすくするための、自作の「ナンチャッテ検索システム」は制作中です(システムと言いつつ、実体はただのブクマ集なので「ナンチャッテ」…)。↓)
そもそも「人気(ランキング上位・数値が高い)=おもしろい」という誤解が蔓延してしまうと、「人気なのに面白くねぇじゃねーか」というアンチが発生しますので、よろしくないと思うのですよ…。
「他人の好みと自分の好みは別物」「この作品、自分の好みではないけど、他の人にとっては好みなのかも知れない」という意識が広がれば、無駄にネット小説界の空気が悪くなることもなくなるのではないかと…。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?