「逃げる」ということについて

 言葉の意味を考える時、辞書を引いて分かった気になるのはあまり好ましくないが、話をそこから始めることについては問題あるまい。

に・げる【逃げる】 の解説
[動ガ下一][文]に・ぐ[ガ下二]
1 捕まらないように、追って来るものの力の及ばない所に身を置く。「犯人は盗難車で―・げたらしい」「一目散に―・げる」
2 自由のきかない所や危険から抜け出して、去る。「ライオンが檻 (おり) から―・げる」「命からがら―・げる」
3 面倒なこと、いやなことから積極的に遠ざかろうとする。直面するのを回避する。「やっかいな仕事から―・げる」「―・げないで真っ向から勝負する」
4 運動競技で、首位を行く者が、後続する者に追いつかれないで勝つ。「先行したままゴールまで―・げる」
5 からだが望ましい構えから後方へ引いた状態になる。ひける。「腰が―・げている」
6 室内・容器の中の気体や味などが、そのまま保たれないで外へ出てしまう。「熱が―・げる」「土鍋はさめにくい上に風味も―・げない」

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E9%80%83%E3%81%92%E3%82%8B/


 この語が悪い印象を与えるのは、主に1、2、3の意味を持つからであろう。
 私たちはたびたび「逃げるな」と言われて育ってきたし、アニメや漫画でも「逃げ出すこと=悪」と扱われていることも多い。(おそらくそれは漫画家という生き物自体が『逃げ出したいけど、逃げ出したら担当編集に怒られる』という環境にで生きていることにも原因がありそうだ)

 ただ難しいのは、「逃げる」というのは、自分自身がそう意識していなくても、他者からは逃げているようにしか見えなかったり、逆に、自分自身は逃げてるつもりでも、他者からは逃げずに立ち向かっているように見えている場合もある。
 それとは別に、自分の肉体は無意識化で逃げているが、自分も他者も、その人間が本質的に逃げていることに気づかない場合もあれば、逆に、自分の肉体は無意識化でまったく逃げようとしていないのに、自分も他者も、その人間が逃げ出していると思い込んでいる場合もある。

 私たちは、何かを判断するとき、このような考えが浮かんでくることがある。
「私がそうするのは、やるべきことから逃げようとしているからではないのか?」と。

 だが、冷静に考えてみると、自分が何かに努力するときは、努力していないと不快になるからである。つまり、努力とはある意味……怠惰からの逃走である。怠惰である自分を受け入れることができないから、その不快感を避けるために「とりあえず何かをする」。そしてそれを、努力と呼んで肯定してしまう。

 努力と逃げることは、実のところあまり対立しておらず、むしろ、逃走の先に努力があるような気もする。実際、危険から逃れようとするとき、人は普段使わない力を無理にでも振り絞ろうとする。生存本能は、強い。立ち向かっているときよりも、逃げているときの方が力をうまく出せる人間もいる。
 逆に、それがどんなことであっても、逃げ出しているという自覚だけで力が萎えてしまうタイプの人間もいる。常に一番難しいことや苦しいことに向かっていくことを喜びとし、それ以外のことにはやる気がでない人間もいる。
 いずれにしろ、努力と逃げることは、かなり近接しており、片方があるところにもう片方がないと考えるのは偏見であるように私には思える。
(漫画家についても、同じことが言える気がする。その人は立ち向かっているのではあるが、同時に、自己自身と担当編集の叱咤から逃げるために、必死になって書いていると言うこともできる)


 私は、自分の経験から無理に立ち向かうことを勧めない。楽な方を選んでばかりの人間は醜いけれど、厳しい方を選んでばかりで体を壊すのも、決して褒められるようなことではない。
 厳しい努力をすれば、その人間がどのような結果に終わっても肯定される、なんてことはない。残念ながら、そんなことは、ありえない。
 私たちは時に、苦しいことに直面したとき、そのことを考えないために努力をしようとする。努力をしている時だけは、嫌なことを考えずに済むから、必死になって目の前のことに集中しようとする。それがうまくいくときもあるけれど、悲惨な結果を及ぼすこともある。
 そして、そのような「逃げの努力」をした結果落ちぶれた人たちは「冷静になって無駄な努力を避ける人」を攻撃するようになる。
 自分を肯定するためには、全ての人間が努力して、成功か失敗をえなくてはならないと、そう考えたくなるらしい。
 あるいは「努力は全て無駄だ」と考えて、あらゆる努力を避けて生きるようになる。そして、それがどのような努力であっても、それが努力である限り、馬鹿にする対象にしてしまう。そういう人も、いるらしい。

 
 逃げることも、努力することも、しょせんはひとつの行動に過ぎない。息を吸ったり歩いたりするのと何ら変わらない「それ自体では良くも悪くもないこと」である。
 だから重要なのは、こういうことである。
「どのように逃げるか」
「どのように努力するか」

 そんなのは理屈だけでは分からないことが多いから、若いうちは色々試してみるくらいの気楽さで生きていた方がいいのかもしれない。

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