【対話篇】認識は命令を待っている


迷う者「善悪、道徳、美醜、優劣、趣味。私はもう、そういうものを考えないことにします。だってそれは、公平で誠実な認識にとって邪魔にしかなりませんから」

導く者「ん? しかし君。ただ認識するだけで終わるのは、認識に対する不義理ではないのかね?」

迷う者「不義理? どういうことでしょう」

導く者「君はその公平で誠実な認識とやらをどうやって鍛えてきたか覚えているかい?」

迷う者「……」

導く者「君はまず人から、今言ったようなものを教えられた。『これこれこういうものが善いことです』とかそういうものを、たくさんの大人から押し付けられた。それに対して反抗したのが、君の公平で誠実な認識ではなかったのかね?」

迷う者「えぇ。世の中の人たちは疑問を持たないようですが、私はその疑問を突き詰め続けた。だからこそ、この結論に行きついたのです。善悪、道徳、美醜、優劣、趣味は全て独断と偏見をもたらす。いや、それ自体が独断であり偏見なのです。違いますか?」

導く者「いや、まったくもってその通りだよ。その点に関しては、反論の余地はない。確かにそれらは、独断と偏見だ。だが……それらに価値がないと決めるのもまた、独断であり、偏見であるのではないかな? 君が『独断と偏見は悪いものだ』と考えることは、独断と偏見ではないのかね?」

迷う者「しかしそう考えてしまえば、私は自分の意見を一切持つことができなくなります」

導く者「ほら、君はそこでもう露呈した。君はやはり『善悪、道徳、美醜、優劣、趣味』をもって語っているじゃないか。だってそれが君の『意見』なのだから」

迷う者「……ではどうしたらいいのでしょうか?」

導く者「不公平になるしかない」

迷う者「え?」

導く者「君は君の意見を、君の『善悪、道徳、美醜、優劣、趣味』を、他の『善悪、道徳、美醜、優劣、趣味』より価値のあるものとして主張するしかない」

迷う者「しかしそれは認識を……」

導く者「君の認識は、何のために存在する? 認識はただ認識するためだけに存在するのか? それはやはり認識に対する不義理だ。なぜならば、認識は戦士なのだから」

迷う者「戦士?」

導く者「そうだ。認識は常に命令を待っている。そこで認識したものを、どのように人間の意志が捻じ曲げるのか、いつもひざまずいて待っている。己に忠誠を尽くしている戦士に対して『お前こそが主人だ』などと言ってみろ。認識はおろおろして、何が正しいのか分からなくなってしまう。それが今の君の困惑と迷走の原因だ」

迷う者「認識は戦士……命令を待っている……」

導く者「君の意志が、独断と偏見が、認識を導くのだ。君の疑いが、不愉快が、あの連中のつまらない『善悪、道徳、美醜、優劣、趣味』に対する反感が、君の認識を強くしたように!」

迷う者「私の認識は確かに、あの連中の愚かしさに反発することで育ちました」

導く者「それこそが君の意志だった。君の認識は連中の言葉に対して反論を組み立てているとき、もっとも盛んであり、幸せであった。それは敵に剣を向ける戦士のように、堂々と、美しく、気高かった」

迷う者「しかし私にはもう敵がいない」

導く者「敵に剣をふるうだけが戦士の在り方ではない。主人の宝物を守るのもまた、誇り高き戦士の役目だ」

迷う者「宝物……」

導く者「君が感じたことを大切にするんだ。認識するよりも先に、感じたことを。『善悪、道徳、美醜、優劣、趣味』を。そうすれば認識は後からちゃんとついてくる。君は自分の正しさを信じることができるようになるだろう」

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