教育と無力感

 久々の吐き気シリーズ。ほぼただの愚痴、吐瀉物で、発展性も建設性もないので、時間がない方や不快になりたくない方はお気をつけください。気をつけて読んでください:)

 椅子に座ってじっと考え込むのは好きじゃない。正直私はテストでいい点数を取るのは好きだが、テスト自体はあまり好きじゃない。授業はもっと嫌いだ。
 私はもともと我慢強い性格ではなかったけれど、我慢強くないと学級から排除されるので(排除されている同級生はいつも何人かいた)私は我慢強い性格になった。
 でもついに我慢できなくなって、学業を放棄した。放棄して正解だったと思う。そもそも私は勉強が嫌いだし、学問も別に好きじゃない。知らないことを知るのは好きだけど、んなん、別にわざわざ集団のひとりになって、じっと座って誰かから教えてもらう必要なんてない。そもそもこちらからのレスポンスが意味をなさないなら、そんなのは長い動画を見ているのと変わらない。クソつまんねー!(ひとつのことを突き詰めて知ろうとすることもあまり好きじゃない。私には探究精神がほんの少しだけあるが、あくまでほんの少しだけ。同じことをずっと掘り下げ続けることは向いていない。いろいろなことを知りたくなってしまう。ゆえに現代の専門的学問は、あまり向いていない)

 教室の外でやる授業は全部好きだった。体を動かす授業も好きだった。ルールが緩い授業が好きだった。自分で何かを選ぶ余地のある授業が好きだった。
 そんな授業はほとんどなかった。私の学校生活はどうしようもなく灰色だった。その灰色を定めたのは、立派な大人たちだった。立派。立派。ご立派ですとも。日本を支えてきた立派な大人たち。私たちが毎日飢えることなく、明日の心配をすることなく生きていけるのも、全部全部、彼ら立派な大人たちのおかげ。そんなのは分かりきってるよ。だからって、私の学校時代のつまらなさやくだらなさがそっくりそのまま肯定されるわけじゃない。

 学校という存在のことを考えると、私はこの国をぶっ潰したくなる。もちろん、本気で思っているわけじゃないけどね。でも、今までの人生の約半分を、従いたくもない規則に従い続けて、意味もなく苦しんできたのだと思うと、それくらい強い憎しみを抱いても仕方がないと思う。
 かつて、人生は監獄だと、本気で私は思っていたのだ。学校に行かなくなって二年。やっと人生は監獄ではないと、誰かに従わないと生きていけないわけではないのだと、確信を持つことができるようになった。それくらい、この呪いは重く強いものだったのだ。
 何が「社会に出たら訳のわからないルールに従って働かなきゃいけないから、そのための訓練として、訳の分からないルールにみんなで従いましょうね」だ。狂ってる。本当に狂ってると思う。

 もちろん私の生活を支えてくれているのは家族だ。家族は、ほかでもないその社会に縛られている。家族が私の身代わりになって、縛られてくれているおかげで、私は縛られずに済んでいる。そんなことは分かってる。分かっているが……そもそも、こういうことを考えなくてはならない時点で、気分が悪い。

 責任。身代わり。幸福。協調。利益。もう全部消えてなくなってしまえばいい。大嫌いだ。
 そういうのは、そういうのが好きな人が勝手にやってくれていたらいいのだ。巻き込まれなくてはならない理由なんてなかったはずだ。人間の生き方は、そんな単一ではなかったはずだ。

 平日の昼間から私は近所を闊歩する。
 立ち上がらないと血行が悪くなる。
 歩かないと考えがダメになる。

 私あんまりアリストテレス好きじゃないけど、日本お散歩学派作ろうか本気で悩むレベル。お散歩で教育革命起こさないと。
 各授業の中に必ずお散歩フェイズを追加すること! 各授業の合間ごとの休みをそれぞれ三十分拡大すること!
 はーあ。そもそも教師ひとりに対して三十人とか四十人とか多すぎやねん。豚小屋かよ。ひとりあたりの所有面積2平方メートル割ってるぞ。(普通教室の平均面積は64平方メートル。言わなくても分かると思うけど、縦横2メートルは4平方メートルだからね。2平方メートルって、縦横1、4メートルちょいだからね。身長と同じくらいの空間すら所有できないからね? 全員で手を広げて寝そべったら必ずぶつかって喧嘩になるからね、教室とかいう養豚場。子供は豚じゃないんだぞ(笑)(笑いごとじゃなくない?)(私たちみんな豚からスタートしてんの?)

 仕方ないって分かってるんだけどね。教育ってお金かかるし、人手も足りてないし。
 多少残酷なことをしてでも、急いで労働力増やさないと、いろいろと回らなくなっちゃう世の中だったもんね。機械と少子化のおかげで多少マシになってるけどさ、この先どうするんだろうね。
 将来のために地獄に耐えてその先は? その先はまた別の地獄なの? それとも、穏やかな老後? 穏やかな老後って天国って言えるの? 誰からも責められず「今まで立派に働いてきて偉いねぇ」なんて、馬鹿にされたみたいなこと言われながら残りの時間を過ごすのって、どんな気持ちなんだろう。
 子供たちは元気ですか。ユーチューブでくだらない動画見て喜んでさ。ネットで心ない意見に触れて傷つくのにも慣れて、悟ったような顔で「意見は人それぞれですから」なんて言っちゃう時代ですけど、それでいいんですか。
 いや私は知りませんけど。

 なんか……しんどいなぁ。この現状って、どう考えても必然的だし……そしてきっとこの先の社会は必然的に、まぁそこそこな感じで続いていく。少しずつはマシになっていくと思う。色んな人の努力でね。かといって、何かが根本的に解決されることもないと思う。世界は相変わらず息苦しいまま続いていく。
 娯楽だけはどんどん豊かになっていく。時間だけはどんどん余っていく。優しさだけはどんどん広がっていく。
 そして優しさに付け込んだ利己主義が広がり、その利己主義に対する憎しみが広がり……憎しみが憎しみを呼び込んで馬鹿げた争いに……いつになったら、そんなくだらないことをやめるようになるんだろう。

 いつになったら、政治や経済、教育のことを考えても気分が悪くならない時代になるんだろう。いつになったら、無邪気に世界の未来図を思い描くことができるようになるんだろう。現状じゃ、立派になった自分の未来を想像することはできても、立派になった世界や国家の未来を想像することは全然できない。できたとしても、それを語ると笑われる。

 問題が多いから気分が悪いんじゃない。解決が難しいから気分が悪いんじゃない。誰もそれを問題だと思っていないから気分が悪いんだ。
 それとも、私と同じように気分が悪くなって目を背けてる人が多いのかな。それもそれで気分が悪いよ。

 あるのは吐き気と無力感だけだ。

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