心の鏡を割らないで
立派に生きたいと願えば願うほど、立派じゃない自分が心の鏡に映ってて。
「鏡よ鏡。みんなの目に私はどう映っている?」
「そんなのは人それぞれ違う。あなたが他者を一人ひとり、違う目で見ているように」
「私は皆と比べて、優れている? それとも劣っている?」
「そんなこと考えている時点で、大差はない」
「鏡よ鏡。あなたには、私はどう映っている?」
「ひとりの、ちっぽけな子供」
私がその心の鏡を割らなかった理由は、私が現実を見続けられるほど強かったからじゃなくて、ただ、臆病だったからというだけであった。
「私、将来女優さんになるんだ」
夢見がちな友達は、心の鏡をすでに割ったのか、それとも元々そんなものはなかったのか、私には定かではなかった。
「お前、ほんとに使えねぇな! うだうだ言ってないでさっさと来い!」
ビル街で怒鳴るスーツ姿のおじさんの心の鏡は? 自分がどれくらい醜く映っているのか、見えないのかな。
「もっと自分を客観的に見なよ」
そんな言葉を吐きながら、優越感を感じてニヤケているあなたは、その姿を「客観的に見て」どうして平気でいられるの?
私には分からなかった。
物語の世界には、単純なキャラクターがいる。純粋で、真っすぐで、迷いがなくて、たとえ迷うことがあっても、まるでその迷い自体がものすごく正しい迷いであるような感じがする。
悪役すらも、どこか自分の役割に忠実な感じがして、魅力的に見える。
魅力的であると同時に……どうしようもなくつまらなくて、くだらない存在であるかのように思う。
現実の人間はアニメや映画のキャラクターみたいに、いつも似たような人格で生きているわけじゃない。その場その場で、自分らしさと自分の損得の中間みたいなキャラクターを演じる。自分らしさはある程度固定されているかもしれないけど、その時々で自分がどういう態度をとるのが得かというのは変わってくるから、やっぱり演じるキャラクターも変化する。
人格がブレる。
一貫性があるとされる人でさえ、昨日言ったこととは違うことを言っている。しかもそれを恥ずかしく思ってない。
「そういうものだよ、人間って。仕方ないんだ」
私は頭を抱える。暗闇の中で生きているかのようだ。彼らが本当のことを教えてくれないからじゃない。
彼らの心の中に、何もないから苦しいのだ。美しさも、喜びも、幸せも、本当は何も知らない。
そこには忘れっぽい欲望と、充足だけ。だから、それ以外のものは全部いらないって、捨ててしまう。
心の鏡が綺麗な人は、全然いない。みんな自分自身を実際よりも綺麗に見ようとしている。自分の見たくない部分を自分の目から隠すのに、人の目からは隠さない。
まるで自分より目のいい人なんてこの世に存在しないかのように、皆が振る舞っている。
自分の目が、自分の認識が、誰よりも明敏で、優れているかのように思い込んでいる。私はそれが怖くて、怖くて、真っ暗闇の中にいるような気持ちになるのだ。
真っ黒な見えないナイフを常に突きつけられているような、そんな気がしてならないのだ。
「私は特別な存在じゃない」
そう思いたかった。そう思って、他の人たちと毎日笑っていたかった。
「確かにあなたは特別じゃないかもしれない。でも、あなたは他の人たちと分かり合うことはできない」
あぁ! 助けてくれ。私を、あの連中の声が届かないところまで連れて行ってくれ。友よ。友よ。友よ。
私と同じくらい、心の鏡が磨き抜かれた人。自分というものをしっかり持って、悩んで、生きて、生きて、生きて、生きている人。
向き合って。向き合い続けて、壊れかけて、そのたびに心臓の穴を言葉の綿紗で繕って。
私の心はボロボロなんだ。ボロボロに、し続けたんだ。鏡に映る私は泣きながら笑っている。
泣くことが弱さなのか、笑うことが弱さなのか、私にはもう分からない。苦しいことを乗り越えるために泣いて、泣いてだめなら笑ってみた。私はただ耐えることだけを考えている。
耐えるために、自分を高く保とうとしている。人生を。人生を嫌になってしまわないために。人生を、価値あるものとして捉え続けるために。
何もしないことなんて私にはできない。苦しみ続けないと、私は生きていけない。
「鏡よ鏡。今の私は、あなたにはどう映っている?」
「痛ましいくらいに、よく頑張っている」
「これでいいのかな?」
「いいんだよ」
頬を伝う涙を指ですくって舐めてみる。思ったよりしょっぱくなくて、また笑った。
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