『自分論』をつくりたい ~3日目~

何かを論じるにあたって、「背景・目的・証明する為の調査・結果・考察・結論・展望」のようなざっくりした流れを定義する。今まで背景と目的は見えた。そこで次に私自身を論じるために「私」をどう評価していくのかを考える必要がある。むしろここから本番で、長い自問自答(のようなもの)が続くだろう。

客観的に物事を考えるために、私という人間を「私」の枠の外に出して、椅子に座らせて調べあげる。いやいや、いくら自分が好きであっても私にそんな趣味はない。そもそも自分論を作るのに、「自分の事を客観視する」ということ自体間違いなのかもしれない。なぜなら、第三者が「私」について論じるのではなく、私自身が「私」について論じるからだ。論じる対象を自分の中に持つというのは中々ややこしい。

さらに言えば、私の中の私は誰だろう。あれ、、、あれ、、あ、、れ、、わたし、、、

はっ!!!!

危ない。

この自分を論じる実験において一番陥る可能性がある『自我を失う』一歩手前まで来てしまった。「私は誰だ、、」なんてどこかの組織にとらわれた「2」などと名前が付けられたポケモンでもあるまいし。いつか「ムトウ2」としてこの世に新たな生を、、云々

さて、気を取り直して、新たな「自分」へのアプローチが必要だろう。それは仮説だ。仮説は何かを論じたり、自分の意見を作るときに自分なりに答えを設定することだ。つまり私はコウであるという仮説を立てて実証すれば、これまた自分論を作り上げることができるかもしれない。

よく自らの意見を仮説と実証を行わず、偉い誰か・インフルエンサーが言ったまま・漫画に載っていたままの言葉を連ねて「いいね」を稼いでご満悦な輩がいるがそれは誰が見ても思考停止だ。意見が合っているかが大事なのではない。間違ったとしてもそれに気づくこと、そして改めて意見を構築することに意義があるのだ。考えや意見は何度修正を重ねても良い。年代というステージごとに意見が変わるのはこのためだ。

さて、私はどんな人間だろう。

#日記 #コラム #哲学 #思考 #自分  

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