感想 同志少女よ敵を撃て 逢坂冬馬 間違いなく戦争小説の傑作!!。狙撃手としての少女の心の葛藤がよくわかった。
新人で、本屋大賞受賞ってすごいと思う。
間違いなく戦争小説の秀作だ。
しかし、僕はそういう楽しみ方はせずに、ナチスに母や知人を目の前で殺されて
復讐に燃える狙撃手としての少女セラフィマの心の揺れや成長を楽しんだ。
狙撃手養成のところから、とにかく面白く。
戦争になってからも、ハラハラ・ドキドキの頭脳戦で面白かった。
最初に、圧倒的に優秀な生徒が油断から戦死したのが楔になっていると思う。
仲間たちの友情。
戦争の悲惨さ。
残酷な教官だと思っていた上司が、本当は信頼に足る人物だったとか。
キャラ設定も良くできていた。
戦争の悲惨さで言うと、このシーンが印象に残っている。
ナチス軍と、敵対しているソ連軍。
ある街で硬直状態になっていた。
そこで魔女部隊と呼ばれてた彼女たち女狙撃手軍団が呼ばれた。
彼女たちは、ナチの兵を一人一人削っていった。それに驚異を感じたナチは、わざと子供を狙撃した。怪我をさせる。助けに来る狙撃手を逆に殺してやろうと狙っていたのだ。卑劣である。
この戦い彼女たちソ連軍が勝つが、陽気だった子供たちの目から光が消える。撃たれた少年は足を失うのだった。
戦争は最悪だ。
子供から笑顔を奪う。
それだけでも良くない。
もう1つ、気になったのはフェミニズム色が濃厚なところだった。
戦争は、モンゴルの時代からそうだが、征服した街の財産や女を自分のモノにする慣習がある。
それは軍規違反ではあるが上官は見て見ぬふりをする。そういう慣例めいたものが昔からあるのだ。
それはナチだけではない。ソ連もだ。いや、古代の時代から続いていた悪しき慣習である。
そんことしたら、占領地での評判は最悪である。後々の統治に響く。
だから、従軍慰安婦という制度を考えだしたわけだが、これは女性の人権という意味で問題がある。
ラストシーンが衝撃的だった。
主人公の少女セラフィマには、村にいた時代に両思いの青年がいた。
彼は砲兵の小隊の隊長に出世していた。
彼と再会した時、歩兵たちが彼女たちのいる前でドイツ女をレイプしたと自慢した。
少女セラフィマはキレて、ぶん殴った。その時、その幼馴染が仲裁したのだった。
セラフィマは、彼に本当にそんな理不尽なことがあるのかと聞く。彼は残念ながら・・・と答える。
自分がやりたくなくても、全体にそういう雰囲気になったら、それは全体の意思みたいになるというようなことを言う。ただし、彼は自分は死んでも、そんなことはしないと宣言する。
これは、戦争が普通の人を悪魔にするという議論だと思う。
集団の雰囲気が、全体的な流れが、正義を貫くことができない状態を作り出す。悪を咎められない。目を背ける。もしくは悪に加担するということだ。
戦争は狂気であり、人間をおかしくする。
当然である。
人を何人殺したかが大切になる世界なのだ。
狙撃手である少女セラフィマも自慢している。
普通ではない異常事態だ。
ラストシーン。
ナチスは降伏した。彼女たちの活躍によってだ。すると、背後に待機していた兵たちが乱入し、ドイツの女性たちを囲みレイプしようとする。それを少女セラフィマたちは目撃する。その先頭にいたのが幼馴染だった。
彼女は、ナチの狙撃手のせいにして、彼を射殺する。
このシーンは読んでて震えが止まらなかった。
戦争は、善人までも悪に染めてしまう。
そういうメッセージが伝わった。
この小説、本音を言うと、狙撃手が頭脳を使って、相手の裏をかき、やっつけるシーンが楽しかった。
戦闘シーンが楽しかった。極悪なナチを倒すのが楽しかった。
最後に、このシーンを読まされて
ふと考える。
僕は間違った読み方をしてしまったなと気づく。
そう言えば、ずっとナチスの非道を読んでいたが
実は、ソ連も同じようなことをしていた。レイプとか。捕虜殺しとか。
最後の章でそれが語られることで、今までの視点が揺らぐ。肩入れしていたソ連もが極悪に見えてくる。
作者に裏をかかれた気分です。
最後の章で、見事に論理転換をなしとげているのでした。
ナチが悪いという視点から、ナチもソ連も悪い。いやいや、そうではなくて戦争自体が極悪だ。
これは反戦小説である。
名作です。
2022 5 8
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