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感想 雌犬 ピラール・キンタナ 怖かった。愛情が転じて憎悪に変わる、そこがが恐ろしい。人間の本質を垣間見た。

これは怖い。
人間の心の闇が見え隠れする、その瞬間、何か見知らぬ化け物が襲いかかってくるような感覚というのかな、そういう感じなのです。

彼女は貧しい地域に住む黒人女性
不妊治療に失敗し子を諦めかけている。
そんな時、赤ちゃんの雌犬を引き取った。
自分の娘につけるはずの名を雌犬につけて溺愛する。

大人になりひょんなことから逃亡した。
そこから、家出したり、戻ってきたりと雌犬は自由気ままになる。

たぶん、犬が自由奔放なのは、他の犬とは違い彼女が溺愛し、自分が特別な存在だと思っているからだと思うのです。犬との距離感がおかしいのです。

一度逃げた犬は、また、逃げる。逃げグセがつくと夫に言われるのだが、その通りになる。

戻ってきた雌犬は大人しく、昔のように彼女に付きまとう
「妊娠したんだろ」と夫は言う
腹が膨れていた。
そして、出産。子を生むと育児放棄し、子育ては飼い主の彼女に押し付けられる。
彼女は、腹を立て、子供たちの飼い主を探して贈与するのだった。

その中の一匹の雌犬をあげる予定になっていた知り合いと連絡がとれなくて
子犬は暴れる、ストレスがたまる。
犬を欲しがっている人がくれと言ってきたのでやってしまう。すると、その約束していた人からは非難される。
そんな時、また、雌犬が戻ってくる。

この時点で彼女にとって雌犬はただの憎悪の対象でしかない。
自分は子供が生めなかった。どんなに努力しても無理だった。子供の代わりとして育てた雌犬は、家出ばかりを繰り返し、あげく妊娠して戻り、出産すると育児放棄。また、家出と自由奔放なのだ。

雌犬が妊娠した時、たぶん、彼女は雌犬に対しての感情が愛情から憎悪に変化したと思う。
それでも我慢し雌犬の子たちを育て引取先まで見つけた。


雌犬に対する憎悪は拭い去れない。
感情の転化が起きたのだ。
子犬をやる約束の女性に、母親犬をやってしまう。
もう見るのも嫌になったのだ。
しかし、戻ってくる。
妊娠していた。
戻しても戻ってくる。
雌犬にしてみれば、彼女だけが飼い主なのだから当然である。

その憎悪の感情は、最後には犬殺しという形で表現されてしまう。
その死体は崖に放置しコンドルたちの餌となるという残酷なラストシーン。

これはわたしの犬《むすめ》。
もし何かしたら、殺してやる






と言っていた彼女が、溺愛していた犬を殺すまで感情をこじらせていく様が丁寧に描かれていて、それらすべてを抑制した文章で表現されているので、その憎しみが花火みたいに破裂するのではなく、雪国に積もる雪の重みみたいに身に染みてくる。ここが、この作品の素晴らしいところだ。



【推薦のことば】


「『雌犬』は、真の暴力を描いた小説だ。作者キンタナは、私たちが知らないうちに負っていた傷口を暴き、その美しさを示して、それからそこに一握りの塩を擦り込んでくる」
――ユリ・エレーラ

「この本は、あなたを変える。残忍であると同時に美しいコロンビア沿岸の荒々しい風景のなかで、母性、残酷さ、自然の揺るぎなさに注ぐまなざしがここにある。結末は忘れられない」
――マリアーナ・エンリケス

☆2018年コロンビア・ビブリオテカ小説賞受賞

☆2019年英国PEN翻訳賞受賞

☆2020年全米図書賞翻訳部門最終候補

☆RT Features制作による映画化決定!!

2022 4 24



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