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「姿勢」について


なにかと向き合うときにまず意識すべきは「姿勢」である。それは「人生」においても同じこと。「どうあるか」よりも「どうあろうとするか」が大切だ。人の「性質」はそう簡単には変わらない。だけど「姿勢」はすぐに変えられる。「強く」はなれなくても、「強くあろうとする」ことはできる。「優しく」はなれなくても、「優しくあろうとする」ことはできる。

人はたしかに、弱く、愚かで、残酷な生き物かもしれない。その「性質」は変えられない。人の可変域は「姿勢」にこそある。

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姿勢を正す

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心は、身体の状態が投影される。「姿勢」は心を表し、心は生き方を表している。ファッションから読み取れるのはセンスだけだが、姿勢からは生き方が読み取れる。

心の姿勢を正すには、まずは身体の姿勢を整えることからはじまる。「姿勢を正す」とはつまり「クセ」をなくすことだ。

「あろうとする」前にするのは、今「あろうとして(しまって)いる」ことを「あろうとしない」こと。

背筋を伸ばそうとする前に、足を組むクセをやめることが先だ。いつの間にかついてしまった悪い「クセ」を削ぎ落としてから、都合のいい「クセ」を身につける。焦らず、順序よく。

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姿勢を構える 

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「姿勢」をまっすぐに正して初めて、好きな方向に傾くことができる。ここでようやく方向性を決める。
ぼくの「姿勢」をあげてみる。

⚪︎「知的」であろうとする
⚪︎「創造的」であろうとする
⚪︎「穏やか」であろうとする
⚪︎「慎重」であろうとする
⚪︎「丁寧」であろうとする
⚪︎「優しく」あろうとする
⚪︎「美しく」あろうとする
⚪︎「強く」あろうとする
⚪︎「柔軟」であろうとする
⚪︎「公平」であろうとする
⚪︎「自由」であろうとする


実際に「そうであるか」は大して重要ではない。なぜなら、「そうであるか」どうかは判断する人次第だからだ。80億人いる世界では、80億通りの「判断」がある。参考にはなるが、当てにしてはいけない。

大切なのは、「自分で」「そうあろうとしている」とはっきり断言すること。

これらの「姿勢」は、行動の基準になる。そして行動は、現実を変えていく。やがて直感的に動く時でさえ「姿勢」は表れる。拳を握り、ひじを引いていればパンチを打つし、両手を精一杯広げていれば、寛容になる。カメラを構えればシャッターを切る。人の行動は「姿勢」が起点となっているのだ。


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「なにかを変えよう」と考えたのなら、素晴らしいことだ。せっかくのその気持ちを、ダメにしてしまわないためにも、「姿勢」を意識しよう。すぐには「結果」を出そうとしない。「あろうとする」だけでいい。紙に書いたりして、意識し続けること。長期的な視線で、「姿勢」という「生き方」を変えていく。大切なのは、「焦らず、順序よく」である。


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