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じゃあ〜学級崩壊の狼煙(ノロシ)

別に子供が好きで教師になったわけではない。

「子供が好きだから教師を目指しました」という人が学校教育には割と多いと思うし、世の中的にも当たり前な感じで捉えられているような気がする。
私は、高校2年の夜の湘南で「多くの教員が教科書でしか学習させられなかった星の学習を、俺だったら学校に泊まらせて、星空のこの綺麗さを子供に教えてあげられる教員になれる」っていうのが動機なので、別に子供が好きでなったわけではない。子供に軸足を置いて動機を分析するのならば、「子供を成長させる作業が好き」というのが正しい。

絶対に言っちゃダメ!!!!!!

短作文やってみます?
担任「・・・・・・・・・・・」
子供「・・・・・・・・・・・」
担任「じゃあ、・・・・・・・・」
子供「・・・・・・・・・・・」
担任「じゃあ、・・・・・・・・」
どんな、シチュエーションが出来ました?
建設的な流れなら、どんどん担任の助言で、良い方向に向かうかもしれませんが、担任が「譲歩」しないといけない場面になったとしたら、どうでしょう?
こちらが思っていたよりも、子供たちが反発して納得できない指示を出してしまった時に思わず口走る「じゃあ」という言葉の後に続く思慮浅い譲歩した内容を喋ったら・・・・・。
子供たちを制御できない教員の一つの共通項として「軽々しい言質」がありました。日常のちょっとした指示で、子供も担任も大したことないと思う程度の会話の中に「じゃあ」を使って、軌道修正して丸く収めようとします。この積み重ねが徐々に、担任の言葉の価値が下がっていき、子供たちが教師をコントロールしていく構図が無意識のうちに出来上がっていくのです。

指示は吟味して「意図的・計画的に」

「今から3つ話をします」とかそんな法則っぽく言わなくても大丈夫。なって欲しい姿とそこに至るまでの学びをじっくり考えて、丁寧に伝えましょう。たどたどしくても、誠意をもって伝えればいいのです。
軽いノリで、学びの負荷をかけようとするから、反発を喰らって、ひるんで、「じゃあ」って言ってしまう。
子供たちに合った学びの負荷を意図的計画的に丁寧に示しましょう。吟味して、言葉を選んで、シンプルに伝える。余計なサービスを加えなくてもいい。そして、一旦指示を出したら、安易に撤回はしない。変更もしない。
こうすることで、言葉に重みが生まれ、指示が通るようになる。電車の中でよく見ませんか?騒ぐ自分の子供に「お願いだから静かにして!」って言ってる姿。あれこそ、言葉の重みを失った学級崩壊の担任と同じです。

逆に「じゃあ」を使って子供をコントロールしよう

例えば、校庭を10周走らせたいとします。
「今から校庭を10周走りましょう」って言ってもいいんですが、
「校庭100周走ります。」
「ええええええ、無理〜」
「じゃあ、10周だったら?」
「それぐらいなら平気」
譲歩しているフリをして、最初に狙ったところに落とし込む。「意図的計画的」に「じゃあ」を使ってみよう。

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