授業アイデア 理科「究極のメダカ学習」
vs指導主事「あなた、言ってることとやってることが違う!」
平成元年の1年次研修(当時、初任者研修と言ってました)で、つまらない講師の講義の時に、爆睡していた私は、廊下に連れ出され、「講師に悪いと思わないのか」と指導されました。たまたまその日は、指導主事たちと初任者の飲み会があり、その場で指導主事に「寝てたのは悪いが、あなたは初回に『20回も集まるから有意義な研修会にしたい』といった。前回のオギス先生の話は面白かった。今日の講師は、全く面白くない。言ってることとやってることが違うじゃないか」と文句を言いました。
で、今日の話は、オギス先生(どちらかの大学の教授の方だと思います。)の話を元ネタにした「究極のメダカ学習」です。
子供が勝手に学んでいく仕掛けで「教えない授業」
必要なのものは
ペットボトル(四角ボトル1,5〜2Lサイズを児童が用意する)
メダカ(児童数の2倍以上匹)
水草(マツモなど)
カルキ抜き
これだけです。
仕掛け「これから、メダカの夫婦の親になってもらう。メダカと水草だけ用意した。必ず育児日記をつけてください。」
児童の準備が整った頃に合わせて、メダカを買ってもらい、タライなどにぶちまける。
仕掛け「ここから、オスメス1匹ずつ持って行って飼い始めます。以上」
混乱は、全く起きません。子供たちは、オスとメスの違いを勝手に学び、何十匹も泳ぐ中から、健康そうな個体を選び、ペットボトルの1面をカットして横に寝かせた自分だけの水槽に大事に入れて育て始める。
翌日、教室のロッカーの上にずらっと並んだ児童数のペットボトル水槽は少しずつ変化が現れる。ビー玉を入れてカラフルにしたり、水槽アクセサリーを家から持ち込んで飾り付けしたり、水草を買い足したり、自分だけのメダカに愛情を注ぎ始める。
当然、育児日記という名の観察記録も丁寧なものが積み重なっていく。そのうちにエアレーションを持ち込む者が現れ、テーブルタップが必要になってくる。感電に注意しながら、支援する。
やがて、産卵するつがいも現れ、水槽の数は増えていく。卵の観察用の顕微鏡を要求されるので、理科室にとりに行き、産卵からの育児日記が作られ始める。
なぜ、自分のつがいは産卵しないのか疑問を持ち、検証した結果オス同士であることが判明し、交換を申し出る子も途中でいる。
一生懸命育てても、死んでしまう個体もある。当然の如く、埋葬が行われる。
児童はメダカを育てているだけ。必要に駆られて学びが生まれる
オギス先生は講義でこう言った。「愛情をもって、メダカを育てていれば、大学生だって、メダカの死で泣くんですよ」そう、大学生が泣くなら、小学生がのめり込むのは、簡単だ。
伊那小学校の1年春組が牛のはるみちゃんを育てながら、自然に学んでいったあの流れが、このメダカ学習のやり方なら、似たような仕掛けでできる。
以後、私の授業スタイルは、教えるのではなくて、児童が勝手に学んでしまうよう仕掛けることを目指すこととなり、その指向は今なお続いている。
10年後に受け持った5年生のユリナが水換えの最中に、誤って流していまい、救出した話は別の機会に。
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