見出し画像

ついにママに仕事を辞めると言った

話は前回に続きますが、看護師になって、救急外来所属になって、実際の救急は想像してたものとは少し違っていた。

というのも、私は所謂コードブルーを想像していて、外科2次内科2.5次といううちの救急とは取る患者の重症度が違ったから。何次の救急かくらい見てから入職しなよ、、という感じですよね。でも3次になると看護師が自分でやれる処置は少なくなるっていうし、ものすごい外傷なんかは見れる気がしないし、そこまで頑張れる気持ちもなかったから、今となってはちょうど良かったかなと思う。2次の救急、そして特にうちの救急は所属長の方針で、日勤帯は病床が許す限りなんでも取る、というもので、脳出血や心筋梗塞、心肺停止といった命に関わる重症から、頭痛腹痛発熱転倒呼吸苦、薬のオーバードーズ、しゃっくり、鼻血が止まりませんなんて事例まで救急車で運ばれてきた。おまけにうちの救急は救急病棟と発熱外来も兼務しているから、コロナ疑いが解除できない人や上の病床の空き待ち患者の対応に、発熱外来での仕事など、覚えることややること、人手が足りない状態でも回すしかないことが多かった。基本的には毎日忙しくてもちろん座る時間なんかなくて、看護業務に加えて委員会やら勉強会やらなんやかんやが多すぎる。先輩は1月末で2人やめたし、3月末で2人辞めて5人異動するし、6月で辞める人もすでに2人決まってる。辞める人たちはみんなリーダーもできる優秀な人たちばっかりで、こんなの来年度が回るはずがない。こりゃ医療崩壊も看護師の人手不足も起こるわ、という気持ちで2年間耐えつつ、仕事が降りかかってくる前に辞めねば。一刻も早く抜け出さねば。という気持ちで、3年目は今後を考える一年にしようと決意していた。

ここまでは愚痴のような現状報告ですが、このタイミングで1月から2ヶ月間、小児科配属になった。3月の異動シーズンに救急に戻れるのか、小児継続になるかはわからないけど、もうどっちでもいいよどうせ辞めるので、という気持ちで行った小児病棟は、思いの外、というかかなりよかった。私の受け持ちがRSやKD、UTI、哺乳不全という侮れないけれど比較的軽症な子たちばっかりだったから、というのは7理くらいあるし、2ヶ月間ヘルプに来てくれている、という雰囲気も小児科の看護師さんの遠慮になったのだと思う、基本的にみなさん優しくて、私に仕事が任されることも少なくて、私は受け持ちのやることが終われば歩き回って泣いている赤ちゃんをひたすら抱っこする癒しの日々だった。子どもというのは本当に疑いを知らなくて、泣いている子に手を差し伸ばせば抱っこしてくれというように縋り付いてくる。こんなんじゃ簡単に誘拐されちゃうよなあ、と思いながら、その小さな手が二の腕を掴む温もりに愛おしさで胸が苦しくなる。

そんなこんなで小児の日々、おむつ交換だって1人で余裕、足を持ち上げてちょちょいのちょいで終わるし、3歳以上になると動けるから着替えだって自らしてくれる、なんかよくわからない折り紙だとかをくれるし、どんなに大変でも可愛いから全て許せる。だけど怖いのは、私みたいな小児経験のない看護師が、2年目だからという理由で配属3日目からは完全に1人立ちして人様の子どもをみている、ということ。小児病棟の勝手も、その子の病気の特性も症状も、飲んでる薬の副作用も、調べればすぐだけど、調べる時間もないまま、曖昧な理解のまま、なんとなくで仕事ができてる風に終わっていくこと。何かあったときに、なんの責任も言い訳もできない。それは救急にも共通していて、2年目で慣れてきてなんとなくの対応はできるけど、詳しい病態理解はできていないし、ROSKしないだろうっていうCPAなんかは練習のように入らされたりするけど、自分が家族だったら、2年目の看護師なんかに、私なんかに看てほしくないなあ、って思っちゃう。そう思うなら勉強しろって話だけど。仕事がなければ座ってね!と言って椅子を持ってきてくれる先輩、夜勤で全員が寝静まってしまえばこっちのもん。救急には少ない穏やかな日々で、言ってはいけないけどこの仕事量で同じお給料なの?と思ってしまうし、体力だって落ちてるだろうし、この2ヶ月一切ルートを取ってないし仕事を全て忘れてそうで3月から戻るのが怖くなってきた。おまけに1番仲良しの同期が異動になって、ああもう無理だ続けられない、続けるほどの義理も思い入れもないと思った。

とにかくこれからのことを考えよう、と、色んな求人を探してみたけど、非公開求人ばかりで、転職サイトに登録することは必須。ランキング上位のサイト4つほどに登録して、1つ1つの電話に出て、やめようと思った経緯や希望を詰めて話していく。話していくうちにだんだん、自分がやりたくないこと、外せない条件が明確になっていって良かった。元々は12月のボーナスをもらって、来年の3月4月入社で考えていたけど、話をしていくと、今紹介できる転職先は今年の春入社のとこばかりだから、こういうところがあるよって情報提供はできるけど、来年度入職となると本格的に転職活動をするのは秋ごろになる、ということだった。今いいなと思えるところがあれば、来年度の予約をとっておくことはできるけど、それでも実際に来年度の求人が出るとは断言はできないらしく、色んな相談を繰り返して、その間私の転職先候補は他の病院の救急、他の病院の小児、訪問看護、美容、保健師、転職アドバイザー、治験コーディネーターと色んな可能性が膨らみつつ、今すぐ辞めるとなると有給を使えないし、ボーナスももらえないし、引っ越しもしなくちゃだから厳しい。早くても6末退社の7月入社、いいところがあれば辞めるし、なければ今のところを続けつつ転職活動をする、ということになった。

ここまで話が進んだ時、いい加減にお母さんに言わなければ、、となった。話す内容を全てメモにまとめた時、これはお母さんとしても、口頭でベラベラ話されるよりもこのメモを送ったほうがわかりやすいのでは。となって、メモを送ってみた。メモを見たお母さんから電話が来た。要約すると、私たちが思ってる以上に大変な職業だと思うし、女の子は結婚するかもだからずっと同じところにいる必要はないし、働く先に困ることはない職業だから、いいところが見つかれば転職したらいいと思うよ。ということで、反対されると思ってたから拍子抜けだったけど、応援してくれたので、3月中に一件面接して、受かったら課長との今年度の面談の時に辞めるって言ってやるんだ〜^^ みんながんばろうね。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?