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自分を受け入れるということを考える

個人的に「魅力的だな…!」と思う人は、いろんな要素があるんですが、必ずみんな持ちわせているな…と感じるのは、自分のいい部分だけを見せようとすることなく、一見マイナスだな…と思うことすらも受け入れる強さを持っているという共通点があります。

なぜかと考えた時に、やっぱり、私自身も完璧な人間ではない自覚は往々にあるので、変に自分を隠さなきゃ…ということにエネルギーを注ぐ必要もないということが一緒にいるなかで感じることができるのが一番大きいのかもしれない。

それは、口に出しているかどうかではなく、そういった自分というものを理解して、自分の人生として体現しているかどうかが重要なのだと思うのです。

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数ヶ月前に撮影させてもらった、パーソナルスタイリストの酒井藍ちゃん

『「陰」の部分を撮って欲しい。』っていう依頼だったんだけれども、めちゃくちゃ迷ったのを覚えているのです。(こういうとき、プロのカメラマンさんはどうするんだろう?めっちゃ意見聞きたい…!)

陰の部分というと、なんだろう?と考えた時に、私の中から出てきたのは、

「ネガティブ」「悲しみ」「悔しさ」「怒り」「妬み」「コンプレックス」「辛さ」などなど、こういう部分。

ついつい、人は感じてはいけない、表面に出してはいけないと思いがちの部分。

そして思うのは、表面に出してはいけないということは、確実に自分に負担をかけているのです。

そして、負担をかけたままながら、自分の中に存在している感覚に蓋をしたままに繋がる出会いや、生まれる関係性というのは、常にどこかで自分が我慢をしないといけないという感覚と戦うことになる。

結果、どんどん陽だけで勝負しないといけなくなる。


最初に戻るけど、陰を出すということは、等身大の自分を出すということを許容することなんだと思う。

敢えて出すものでもないけど、「ネガティブ」「悲しみ」「悔しさ」「怒り」「妬み」「コンプレックス」「辛さ」などなど、別に持っててもいいじゃないっていうことを自分が思えるということ。

最後に「別にいいじゃない。人間だもの」とつければ、全部名言っぽくなるし。←

自分が『陰』を受け入れることが、一般的な美しさではなく、自分だけの美しさを探求するための入り口になるんじゃないかということを考えた次第です。

NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one

という名曲が何年たっても、ここだよなぁ…と感じさせてくれる。


自分を隠すことにエネルギーを注ぐのではなく、自分を表現することにエネルギーを注ぎたい。

そんなことに気づかせてもらえた撮影でした。


ちなみに、場所は新宿。


人の写真を撮りながら考えていることはこちらです。


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