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心療内科への通院は苦行である

人生初の心療内科へ行った。
最初に申し上げておくと、私は初めての心療内科で、先生は2人目となる。私個人の感じ方であること、どこの心療内科も同じとは限らないこと。それだけは前提として了承いただきたい。

さて、なぜ苦行(ストレス)に感じるかを書き留める。
そもそも、このような心身の病を背負った人が、他者と話をするというエネルギーがあると思うか。いや全くないのだ。しかも身内ならばまだしも、見ず知らずの第三者に話さなければならない。上手く話すこともままならないのに、話すことは大変なエネルギーを伴う。大変に疲れるのだ。それなのに、初対面の人に自分の症状を話さなければならない。しかも私は人見知りだ。内容だって、第三者に話すことは崖から突き落とされるような勇気がいる。仲良しな母に自分の症状を話せるようになったのは発症してから2週間以上も経ってからだ。それを、私がどんな人でどんな背景でこのような状況になったか全く知らない、見ず知らずの初対面の第三者に話さなければならない。これは、かなりのストレスである。これが、ストレスにならないわけがない。

また、待ち時間も長い、待合室はただの人混みだ。辛い。できるだけ気を紛らわそうと、ヒーリング音楽やオーディブルを聴きたいが、いつ自分の番号を呼ばれるか分からないため、聴けない。ずっとソワソワして待たなければならない。唯一できたのは塗り絵アプリ。無心でやっていた。

先生たちは忙しさからか、せかせかしているし、傾聴力が意外にもない。薬のメリットデメリットなども説明がない。上手く話せない自分が悪いのか、と自分責め。そして、私のような心身状態だと、どうせ甘えとでも思われているんだろうな。など被害妄想炸裂してしまうのである。なので、もう少し穏やかに、朗らかに、話を聴く姿勢があると嬉しい。結局、薬を処方するためだけに私は30分、1時間と苦痛の中待たされたのか、と思ってしまった。それならまだ、不妊治療のクリニックの先生の方が朗らかで話しやすい。心療内科は自分と合う先生に出会うのはなかなか難しいのだろうな。行くのも大変だし、待ち時間も辛いし、話すのも大変なのだ。みんな辛い思いして通院しているのだな。しかしながら、休職のための診断書や薬を貰う必要があるため、仕方なく通院するのだ。
(これらは私が普通の状態ならば感じないことなのだろうと思う。今の私だからそう感じた、敏感になり被害妄想が強くなっただけのこと、と受け入れようと思う。)

2024.4.3
くるみもち


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