心の「良い子」と「悪い子」

今日ふと「人に構われたい」という感情が生まれた。

その時に、自分の中の成長を感じた。

自分の心のぐちゃぐちゃしてるイメージを、いつも「大人の自分」と「子供の自分」にずっと置き換えてた。

愛着障害なんだろうと思ってから、最近心の中のぐちゃぐちゃは、全部子供なのかもしれないと思った。

それからは心の中のイメージを「良い子」と「悪い子」に置き換えた。

私の中を「良い子」と「悪い子」それと「その2人が入ってる器の私(大人)」と三分割してみたら、なんとなくしっくり行く気がした。

基本思考のベースは「器」と「良い子」。

子供の頃からの色々を経て、その2人がメインで考えることが一番周りに嫌われずに済むから。

「悪い子」は別に形式上、名前を付けたらそうなったってだけで、本当は悪い子ではない。

むしろ、その子が一番人の愛を受けられるはずだし、受けたがってる。

「器」に関しては、感情論をあまり挟まない。

「良い子」は嫌われないようにいつも考えてる。

「悪い子」はずーっと隠れてたんだよね。

自分がいると、自分が周りに嫌われちゃうのがわかってるから。

自分が好かれないと思っちゃってたから。

そう考えると、すごく物分かりの良い子なんだけど、周りの環境がそう思わせてくれなかった。

大事な人と出会って、なんとなく、いつのまにか少しだけ心が繋がった感じがして、少しだけその「悪い子」が外に出てみたくなった。

この人の前なら、少しだけ出てもそんなに嫌われないんじゃないかなって思ったんだと思う。

そして、もし嫌われても、そこで完全に自分は愛情を求めちゃいけない人間だと思える一つのきっかけにもなるわけだし。

コロナで自分のやりたいことができなくなって「良い子」が「良い子」でいられなくなったから、崩れた。

「良い子」は自分が何か持っているから人に好かれていると思っているから、いろんな資格取ろうとか頑張ってたんだけど、コロナでそれが上手くいかなくなって、今の自分は何も持ってないと殻に閉じこもった。

「良い子」が「良い子」で無くなったから、今の私は誰にも愛されないと絶望した。

でも出来るだけ「良い子」の振りをし続けないと思った。

大事な人には嫌われたくなかったから。

でもそれももう無理で、でもなんか助けてもらえるかもしれないと漠然と思った「悪い子」が助けを求める。

結果的に全然「悪い子」は悪い子じゃなかったんだなとわかりつつ、自分が如何に人の愛情を受けることをしてこなかったか、受けられなかったかを知ることになったけど。

そしたら依存的感情が生まれて、また結局苦しくなった。

やることややろうとしてたことを減らして、思考の机を広くして、少しずつ「器」が思考を始めた。

いつも不意に「大事な人に会いたい」と思い始めて辛くなる。

それを「良い子」と「器」が止める。

迷惑だよなと。

今考えたら、多分「悪い子」と「良い子」が混ざったものに近いかもしれないけど。

ただの「子供」。

でもその子供がなんで会いたいと思うのか、器の私はわからなくて、とりあえず大丈夫大丈夫と慰めるのが精一杯だった。

不安なのかなとか、寂しいのかなとか色々思うんだけど、なんとなく違う。

そしたら今日ふと「構ってほしい」という言葉が頭に浮かぶ。

「あー構って欲しかったんだね」と思うと、なんだかしっくりきて、心が落ち着いた。

そうだよね。

本当はもっとお母さんに構ってほしかったんだけど、弟もいたし、母は周りに良い顔をするタイプの人だから、私にはあんまり構ってくれなかったんだよね。

構ってほしいと声をかけても「あんたは家で構えるんだから」と他の子を見たりして、寂しかったんだよね本当は。

だって家では弟の方が構われてるし、私はお姉ちゃんだから我慢してたんだよ。

その内に、構われるより嫌われないことの方がメインになって、嫌われないためには母親に迷惑をかけないよう自立することだった。

でもどんなに頑張っても私が母親から認められると思えることはなくて、自分は人から認められない人間なんだっていうのが普通の思考になってた。

本当は別に何をしてほしいとかじゃなく、ただ一緒に笑い合えるだけで良かったんだけどね。

こうやって、自分の中の子供と意思の疎通が少しずつ出来るようになってきてるのは、何かしらの成長なのかもしれないなと少しだけ楽しくなる。

ちょっとだけ、寂しくもあるけど。なんとなく。

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