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めいそう日記〜Day405:見えないものを見つめる

1. 瞑想小咄〜見えないものを見つめる

「見えないもの」と言っても、この世のものではないものを見ようというわけではない。先日、ロジャー・マクドナルドさんというアートに携わるプロフェッショナルな方の話を聞く機会があった。アートを作り出す側というよりは、アートを解釈する側と言った方がしっくりくるかもしれない。アートイベントでキュレーター(学芸員)を勤められたこともあるのだそうだ。興味がある方は、下記のリンクから見てみてほしい。

お話全てが大変興味深かったのだが、中でも心に残ったのは「目に見えないものに意識を向ける」ということだった。抽象的な言葉なので、もう少し伝わりやすいように私の解釈を交えて紹介してみたい。

ロジャーさんは、私たちが絵画を見たときにどういう行動を取るかについて説明をしてくれた。私自身もそうだったのだが、おそらく多くの人がその絵を「理解しようとする」だろう。その絵が描かれた時代背景や作者についてなど、自分が知っている知識をもとにして、その絵で何を表現しようとしているのか「理解しようとする=読もうとする」のではないだろうか。

この「読もうとする」という体験は、絵を見たときのみに発生するわけではないと思う。詩や俳句などといった、説明が細々となされないような文章表現においても、その文章を「読もうとする」。

しかし、ロジャーさんはここで一つ私たちに提案をしてくれる。それは、「理解しようとする衝動を押さえて観察する」ことだ。自分がこれまでに持ってきた知識で理解をしようとするのではなくて、よくよく観察をする。その際、自分の五感や身体、精神に響くものなど、自分の目に見えてこない「感じるもの」に意識を置いてみるということだ。

ロジャーさんはこの状態を「宙吊り状態」と言っていた。別の言葉で表現すると「待つこと」だという。ついつい私たちは結論を急いでしまうが、じっと静かに観察をして、結論を出すことをあえて「待つ」。それによって目には見えないものが、感覚を通して「見えてくる」可能性があるのだそうだ。

この話を聞きながら、ある意味瞑想やマインドフルネスも同じような感覚だと思った。何かを理解しようとして、自分の既存の知識をたぐるのではなく、「今」ここにある感覚を観察をすること。それによって、言語化される前の「感覚」が見えてくるようなことがある。

現在はとかく「理解する」「答えを出す」ことのスピード感が求められる時代だ。何か疑問に思ったらGoogleに聞けばすぐに何らかの答えを知識として与えてくれる。しかし、こんな時代だからこそ、一度立ち止まってよくよく観察することによって、今までに見えていなかった大切なものが見えてくる可能性もあるのではないだろうか。

ロジャーさんの話を聞きながらそのように思った。いずれ、ロジャーさんの著書である『Deep Looking』をこのブログの中で取り上げてみたい。

2. 今日の瞑想〜2022.11.26 Sat 5:20〜(10min)

早く目覚めた朝の瞑想。とりあえず目が覚めたので瞑想をして、また二度寝することにしよう。

今日はこちらの誘導瞑想を。

横になったままでゆったりとリラックス。誘導の声を聞きながら力を抜いていく。リラックスした呼吸を続けていると、身体が楽になっていくのがわかる。

誘導の声も、心を軽くしてくれる。心と身体がゆったりリラックスした時間。短い時間だったけれども、良い時間だった。



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