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めいそう日記〜Day425:未知を歩く(後編)

1. 瞑想小咄〜未知を歩く(後編)

オハイへの道のりの続き。黙々と目の前に続く道を歩くこと約1時間。ようやく「オハイ」の看板が見えた。時間はちょうど12時前。山の斜面にある、誰かが踏んでできた道らしき場所を慎重に降っていく。山の中腹あたりから、どんどん降って海の方へ。そして到着したオハイがこちら。

オハイから見える太平洋

断崖から見える太平洋の大海原。午前中の方が太陽光が海に差し込む角度が良いらしく、オハイブルーが見える可能性が高いとのことだったのだが、ちょっと遅かったか。それでも、海が太陽の光でキラキラと光っていて、えも言われぬ美しさだった。

ここは山から岩肌を伝って水が海へと流れ込む場所でもある。山の養分が水によって運ばれて、海へと流れ着く。尾鷲の魚は美味しいと評判なのだけれども、その美味しさの秘訣は、豊かな山からもたらされる栄養素であることを実感させてくれる。

海へ注ぐ川の流れ

岩の上に腰かけて、太平洋の水平線をただぼんやりと眺める。目の前の圧倒的な自然の雄大さに言葉を失ってしまう。やはり自然というのは、偉大だ。

いつまでも眺めていたい景色ではあったが、帰路が待っている。苦労して歩いた道を再び引き返す。行きと違ってペースは少しのんびりめ。そうすると、行きは気づかなかった周りの景色がよく見える。

私が何気なく歩いてきた道。今となっては道らしき場所になっているが、かつて最初にここを歩いた人は、道なんてなかった。当たり前といえば当たり前だが、私たちが普段歩いている道は、誰かが通った跡。

最初に道を作った人にとって、目の前に広がる景色は未知のものだったはずだ。この先に何があるのかわからない。どこに着くのかもわからない。未知のものを目の前にして、どんな心地だったのだろう。怖さもあり、ワクワクもあっただろうか。現代の私たちが、秘境を求める気持ちと同じようなものが。

道は未知に通じる。今目の前にある道は、誰かが未知に挑戦した結果なのだと思うと、感慨深く思えてきた。そんな気持ちで、一歩一歩、道を歩いて元きた九鬼町へと戻ってきた。

森の入り口から出て、振り返ってみた。行きよりも増して、今まで自分がいた空間というのは異世界だったのだということを強く感じた。人の気配がする町ではなく、自然の気配が色濃い森、そして海。私たちが異世界を探検することができるのは、過去の誰かが未知に挑戦してくれたおかげと、現在の誰かが道を整備してくれているおかげ。そのどちらにも感謝して、その場を去った。

道ができる前には未知がある。美しい自然に触れながら、未知に挑戦した人々の心にも触れたような旅だった。

2. 今日の瞑想〜2022.12.16 Fri 6:40〜(20min)

寒い朝。日に日に寒さが増しているような気がする。なかなか布団から出づらくなっているこの頃。今日も瞑想から始めるとしよう。

今日の瞑想音楽はこれ。

いつものように姿勢を正して座る。早速雑念が湧いてくるのを感じる。言葉が浮かんでくるのを一旦止めて、意識を自分の内側へ。徐々に穏やかな心地になってくる。

思考が浮かんできたら、意図して言葉を止めることを行なっていると、瞑想状態に入りやすくなったような気もする。そうやって時間を過ごして終了。



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