めいそう日記〜Day573:足るを知る(後編)
1. 瞑想小咄〜足るを知る(後編)
山の猟師も海の海女も、自然から獲物をいただく時期を決めていた。それはひとえに、生態系の保護に繋がっていると考えることができるだろう。
さて、前編で少し触れたMiemuの展示で紹介されていた猟師のインタビュー内容について触れてみたい。インタビュアーが猟期になると、山に入る前に山神様にお祈りをするのですかと質問をした。それに対して、猟師はその通りと答えていた。それに続いての話が印象に残っている。大まかな内容としては下記のようなものだった。
この話を聞いてみて、この方は「足るを知る」ということを理解している方なのだなぁと感じた。人間の都合であるだけ根こそぎ持っていくのではなくて、あくまでもいただける分だけをもらっていくという考え方。とても素敵なことだと思った。自分がいただける分だけ。必要な分だけ。あとは自然界にお返しする。そのような気持ちを、現代の私たちは忘れてしまっているような気がする。
最近私の農園の畝で一番元気なのはえんどう豆だ。訪れるたびに次から次へと新しい実をつけてくれている。とても一人で食べ切れるものではないので、一部を残していく。同じ農園の他の仲間が持っていってくれてもいいし、昆虫や鳥が持っていってもいい。そのまま食べきれないものは種として来年に残してもいい。必要な分だけもらうようにすると、自然はそれ以上の実りをもたらしてくれるために、必ずその次の世代に引き継がれていく。
しかし、最近は自分たちの繁栄のために、自然の恵みを根絶するほど根こそぎ持っていってしまう人間が多いのではないだろうか。企業の成長、事業の繁栄。それによって人間が豊かになっていく。それは結構なことだと思うのだが、一方で自然環境に目を向けていないのではないだろうか。何にしても、今の世の中はバランスがあまりにも悪いような気がしてならない。
この記事を書いていて、一つ思い出した話がある。もしかしたら皆さんも聞いたことがあるかもしれない。この話の内容を要約すると、漁師にエリートコンサルタントが「もっと富を得るために、もっと魚を取ってもっと効率よく稼ごうじゃないか!」と言う。猟師は「金持ちにるとどうなるんだ?」とコンサルタントに聞く。するとコンサルタントは「好きなことをして、家族とのんびりして、少しばかり魚を取れるような生活ができるようになる」と言う。漁師は「それはもうすでに今できていることだ」と言ってオチがつく。
詳しい内容は下記のリンクをご参照ください。私が述べた内容と一部違いはあるけれども、大まかな流れは同じなはず。
この漁師は自分にとって十分なことを知っていた。そして、必要以上のことを望まなかった。むしろ、今の生活が自分にとって十分満たされたものであることを知っていたのだろう。
まだまだ足らないと言ってさらに上を目指す生活と、質素であってももう十分足りていると言える生活。どちらの生き方もありだろう。果たして自分のこれからの生き方に合っているのはどっちの生活なのだろうか。
2. 今日の瞑想〜2023.5.13 Sat 6:55〜(12min)
今日は神宮神田で田植えの神事があるため、朝から見にいくつもりにしている。本当はもっと寝たいところだが、そうも言ってられないので起床。瞑想しよう。
今日はこの誘導瞑想を。
座って始める。いつものように背筋をしっかり伸ばすのではなく、ゆったりと座る。ガイドの声に意識を向けつつ、自分の意識を身体の内側で操作をしていく。
途中で雑念は湧くが、ガイドの声に耳を傾けることで集中を戻していく。そのまま自分の意識はさらに内側へと入っていく。次第に浮遊感というか、なんともいえない不思議な感覚が生じてくる。身体から意識が自由になっているような感覚。
なかなか面白い瞑想だった。皆さんもぜひお試しください。
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