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めいそう日記Ver2〜Day133:伝統を変える前に伝統を続ける方法を考えよ(前編)

1. 瞑想小咄〜伝統を変える前に伝統を続ける方法を考えよ(前編)

私たちは、今を未来に向かって歩き続けている。今現在は、物理的に過去に帰ることはできず、ただ前に向かって歩き続けるしかない。だからこそ、未来に向けて何かを作ることはできるが、過去に向けて何かを作ることはできない。

私たちが普段生きているこの生活は、過去からの積み重ねがあってこそのものだ。あまりにも当たり前になってしまっていることの全ては、先人たちの知恵や努力のおかげであることを、忘れてはならないだろう。

さて、そんな昔から続いている文化や風習を、私たちは「伝統」と呼ぶ。しかし、伝統を守り続けることは簡単ではない。社会生活の変化や常識の変化など、さまざまな変化によって失われてしまった伝統がたくさんある。

伝統には、今の私たちから見て「価値がある」と思えるものもあれば、「無駄である」と思うものもあると思う。昔は価値があってこそ、伝統として未来に残されてきたものでも、世の中の動きによって、価値が失われてしまったものがあるのは致し方のないことだ。

しかし、だからと言って「意味がないもの」だから「失われてもいいもの」と即断即決するのは、ちょっと乱暴なのではないかと思ってしまう。

ここで伊勢神宮の話をしたい。ご存知の方も多いと思うが、伊勢神宮は20年に一度、社殿などの建物を建て替える「式年遷宮」という祭典がある。この祭典にはさまざまな理由があるのだろうが、今回の記事ではそれを述べるのはやめておく。

さて、この式年遷宮には大量の木材が使用される。なぜなら、伊勢神宮の外宮・内宮の社殿だけではなく、そのほかの小さなお社など、合わせて125社が建て替えられたり、一部は修繕したりするからだ。

前回の式年遷宮は2013年に行われた。今年はちょうど真ん中の10年目に当たるわけだが、未だに遷宮の作業は続けられている。小さいお社は遷宮の順番が後になるため、何年もかけて少しずつ建て替え作業が行われる。

このように、たくさんの木材を必要とするわけだが、これらの木材がどこからきているかというと、現在は木曽の山奥から使用される木材の多くが運ばれてきている。

その昔、式年遷宮が始まった今から1300年前頃は、全て伊勢の山で賄われていた。しかし、20年に一度の遷宮が続くことによって、伊勢周辺の山々では賄うことができなくなったため、伊勢の外へと木を求めたということだ。

伊勢神宮の社殿に用いられる材木は、大きいものでは樹齢400年程度のものまである。人間の生きる尺度で考えると、途方もない時間をかけて育った木を用いなければならない。これから先も20年ごとに大量の木が必要になるとすると、今後も同じ祭典を続けていくのだとすれば、状況としてはかなり厳しいことが伺える。

そのような状況下、明治時代の式年遷宮の際、一つの解決策が提示された。それが、社殿を木ではなく、コンクリートで作ればいいのではないか?という方法だった。

後編へ続く。

2. 今日の瞑想〜2023.12.11 Mon 6:25〜(20min)

今日から1週間の始まり。週の最初の瞑想をやっていこう。

今日の瞑想音楽はこれ。

姿勢を整えて座る。いつものように呼吸に意識をむけていると、徐々に意識が深いところまで降りていく感じ。寝ている状態とは異なる不思議な感覚。これが瞑想状態ということなのかも。20分がいつもより長く感じた。

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