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めいそう日記Ver2~Day333:さよならのこちらとあちら


1. 瞑想小咄~さよならのこちらとあちら

出会いがあれば、別れがある。それは当然のことだ。いつかどこかでお別れをすることもあるし、そうかと思えば新しい出会いもある。生きていれば、そんな出会いと別れを繰り返す。子どもであっても、大人であっても。

私もこれまでに何度か転職してきた身だ。なので、大人になってからの出会いと別れの経験はそれなりにある。しかし、子どもの頃を思い返してみると、親の都合で転校することはなかった。そのため、子ども時分には、出会いと別れについてはあまり理解できていなかった。

先日、伊勢で仲良くさせてもらっている人が仕事の都合で伊勢を離れることが決まったと聞いた。小学生のお子さんがいらっしゃるので、お子さんにとってみたら、夏休み前に友達にさよならをして、夏休み明けには新しい学校で初めましてをすることになるそうだ。

私にはそのような体験がないから、お子さんは果たしてどんな気持ちなのだろうなと思った。その子にとって人とさよならをするのは、物心ついてからは、もしかしたらこれが初めての経験になるのかもしれないから。

さよならをして、さよならをされる。寂しいことではあるけれども、仕方がないことでもある。

私もこれまでの人生の中で、転職ということを通して、さよならをする側にも、さよならをされる側にも立ってきた。さよならのこちら側とあちら側で心境が大きく異なることも知っている。

さよならをする側は、確かに寂しいけれども、これから始まる新しい世界への緊張感やワクワク感がある。一方、さよならをされる側は、これからも同じ日常が続いていくので、さよならをした人のことをしばらくは引きずるかもしれない。しかし、日常の中で少しずつ忘れていくものだ。

こうしてきっと、世界はバランスが取れているのだろう。どちらも、ちゃんと前へ進んでいかなければならないのだから。

私も、これまで仲良くしてもらった人とはさよならになる。私にとっては、さよならをされる側で、相手にとってはさよならをする側。お互い名残惜しくはあるけれども、それぞれの日常が忙しいために、きっと良くも悪くもセンチメンタルな気持ちは日常の中に埋没していくのだと思う。

さよならを目の前にして、あらためて感じた出会いと別れ。出会った縁に感謝して、そして離れていく相手にエールを送って。確かにさよならすることにはなるけれども、一度できた縁はきっと切れないはず。

またいつかどこかで会える日を楽しみにしよう。

2. 今日の瞑想〜2024.7.10 Wed 6:20〜(15min)

水曜日の朝。今週も怒涛の勢いで1日が終わって行く。振り落とされないようにしよう。まずは瞑想。

今日の瞑想音楽はこれ。

目を閉じてリラックス。今日は雑念すら浮いてこない。眠いのだろうなぁ。あまり瞑想できた感じがしないけれど、体を休められたのでよし。



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