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めいそう日記〜Day331:「普通」の変化(後編)

1. 瞑想小咄〜「普通」の変化(後編)

前編に引き続き、都会から田舎へ移住してくることで生じた変化について述べていこう。前編は主に外面的な変化について述べたが、後編では内面的な変化、特に「住む家」を選択することの価値観が変わったことについて述べていこう。

こちらにやってきて、私と同様に都会から移住してきた人たちに会う機会があった。彼らはこちらで家を構え、それぞれ生計を立てている人たち。都会から田舎に移り住んだ理由は人それぞれではあるが、ほとんどの人が一軒家に住んでいた。

彼らの家は、新しい家もあれば古い家もある。そのほとんどが駅や街の中心部から離れているが、自然が近くにある。彼らの生活圏の中に職場があるというのも特徴的だった。ほとんどの毎日を自分たちの生活圏の中で過ごし、時々買い物に行ったり、娯楽を楽しむために街の中心部に出かけていくという生活スタイルだ。

まさに、ハレとケが分かれているような生活スタイル。都会で暮らしていた時は職場が都心部にあるため、毎日生活をする場所から都心部に出かけるのがほとんど。考えてみれば、毎日ハレの場所に出かけていくようなものだった。

ハレの場所は賑やかで楽しいが、一方で疲れたり落ち着かなかったりする。ケの場所は変化がなく退屈ではあるが、一方で安心したりリラックスできたりする。ケの場所での生活を中心にしつつ、時々ハレの場所に出かけていく生活スタイルの方が、私個人としてはとても精神的な安定と充足が得られるような感覚がある。

移住者の人と話をする中でもう一つ驚いたことは、「持ち家」についての考え方。とある人は、自分が家を持つことをイメージした時、次のようなことを重視したという。「一軒家であること」そして「長期間に渡る借金を背負わないこと」。そこで生まれた考えが、古くなった空き家を安く買うということだったそうだ。

家の価値というと、いかに新しいかが大きな影響を及ぼすだろう。なるべくなら人の手垢がついていない新築が良い。そう考える人は多いはずだ。一方で、新しい家は当然ながら高い。その高さを許容して新しい家を買うべきか、それとも古い家でもそれ以外の自分たちのニーズを満たすことができれば許容するべきか。

そういえば、昔は家を代々住み続けるという考え方が「普通」だったはずだ。その「普通」が変化したのは、時代の流れによるものかもしれないし、田舎から都会へ多くの人が移住したことによるものかもしれない。

「住む家」を決めるというのは、「生き方」を決めるということに近しい。今、生き方に迷っている人は、思い切って「住む家」に対する認識を大きく改めてみると、今までに見えなかった新しい「生き方」が見えてくるはずだ。

「普通」とは、多くの人が「一般的」「常識的」と感じることだ。しかし、その「普通」は一人一人の人間にとって、必ずしも心地よいものだとは言えない。世間一般で言われる「普通」の中で生きることに疲れたら、自分を支配する「普通」を変えてみたらいい。その大きなチャンスが、移住という選択肢だと私は思うのだ。

2. 今日の瞑想〜2022.9.13 Tue 6:15〜(20min)

今日も起き抜けに瞑想。昨晩、やや調子が悪かったが、ゆっくり寝たおかげでほぼいつもの状態に戻っていた。

今日の瞑想音楽はこれ。

目を閉じて瞑想開始。今日の音楽は瞑想状態に入りやすいとのこと。確かに実感として今日は思考している時間が短かったような気がする。音楽に耳を傾けていると、感覚が研ぎ澄まされていくような感じ。

瞑想状態になりつつも、時折思考がやって来る。姿勢が崩れているのに気づいて、瞑想中に何度か姿勢を整える。集中が切れることは何度かあったが、確かに音楽の効果なのか、今日はいつもよりも瞑想することができた。



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