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めいそう日記〜Day299:ハレの食事とケの食事

1. 瞑想小咄〜ハレの食事とケの食事

ハレとケ。この言葉をみなさんは聞いたことがあるだろうか。ハレの日と聞くとなんとなくイメージが湧くだろう。卒業式、入学式、結婚式。もう少し身近なところを挙げると誕生日がそれにあたる。つまり、特別な日ということだ。それに対してケの日。ハレの日に対する概念なので、普通の日と捉えることができるだろう。

ハレとケの考え方は、民俗学者の柳田國男によって提唱されたそうだ。その後、さまざまな議論がなされているが、ハレとケの統一的な見解は見出されていないらしい。

諸説ある見解の中で、個人的に面白いなと思ったのが、桜井徳太郎の考え方。ここでは、「ハレ」と「ケ」と「ケ」が枯れた状態、つまり「ケガレ」の考え方について循環的な捉え方をしている。

「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」のモデルには、日常生活を営むためのケのエネルギーが枯渇するのが「ケガレ(褻・枯れ)」であり、「ケガレ」は「ハレ」の祭事を通じて回復すると唱える
ーWikipedia「ハレとケ」より抜粋

日本人が忌み嫌う「ケガレ」の状態とは、日常生活を営むためのエネルギーである「ケ」が枯れてしまった状態。この「ケ」のエネルギーを回復させるために必要なのが「ハレ」の祭事であるという。大変面白い考察。

また、「ハレ」と「ケ」の境目が過去と近代では異なってきているのではないかという指摘もある。

日本では、戦後から高度経済成長を経て、大衆消費社会になったことで、派手な物、美味しい物が手軽に消費出来るようになり、ハレとケの区別が曖昧になった(どちらかと言えばハレが続いている状態になった)と言われている
ーWikipedia「ハレとケ」より抜粋

ハレが続きすぎるとどうなるのだろう。ケガレ状態を解消するため、エネルギーを注入するのがハレの祭事だとすると、常にエネルギーが注入され続けてハイになっているような状況だろうか。常にエナジードリンクを飲み続けているような感じなのだろうか。

先日、伊勢に訪れた人を2泊3日でご案内した時があった。せっかく旅先に来たのだからとかなりスケジュールを詰め込んで、あちらこちらへと赴き、美味しいものをたくさん食べた。それに同行させてもらったわけなのだが、正直なところかなり疲れた。旅行に来られた方も疲れが顔に滲んでいた。

美味しい料理も間髪入れずたくさん食べすぎると、なんだか本当に美味しいとは感じられなくなってくる。美味しさの1番のスパイスは空腹だというが、それは本当にその通りだと思う。

いつもとは違う場所、非日常空間にいるからこそ惜しみなく時間を使ってハレの日の料理をたくさん楽しみたいという気持ちは大変良くわかるが、精神的な充足感と喜び、感動を味わうためには、旅行の中にも普段のケの日の時間を過ごすことの大切さをなんとなく実感した。

先日広尾にある「日日の料理 びおら」というお店に行ってきた。ここではハレの日の料理ではなく、普段のケの日の料理を提供することを謳っている店。特別な空間である中に、普段の料理が出される。もちろん、食材は通常使うようなものではなく、もっと上等なものだが。ただ、献立としては普段の料理に出てきてもおかしくないもので、なんだかホッとして温かい気持ちになったものだ。

ハレとケ。どちらもお互いに存在するからこそお互いの価値を引き立てることができる。そのバランスが大切なのだと昔の人は知っていたのかもしれない。

2. 今日の瞑想〜2022.8.12 Fri 6:15〜(20min)

今週最後の瞑想。いつもの時間に起床できたので、早速瞑想を開始。

今日の瞑想音楽はこれ。

深呼吸からスタート。それからボディスキャンへ。身体に不調は見られない。しかし、それなりに、よく寝たはずなのに眠い。あまり集中できていない感じ。

切り忘れていたアラームが途中で鳴り始めたのもあって、あまり集中できなかった。そのまま時間がくるまで散漫になる意識を集めようと試みて終了。


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