めいそう日記Ver2~Day335:袴に宿る記憶(後編)
1. 瞑想小咄~袴に宿る記憶
大学の合気道部時代に、おそらく袴を2枚買った。そして、卒業してから新しい袴を買ったはず。なんとなくそんな記憶がある。
はっきりとは覚えていないけれども、大学時代に履いていた袴には自分の名前の隣に、「○○大学合気道部」と刺繍を入れていた。今履いている袴には大学名の刺繍がないので、おそらく卒業後に買ったものだと推察される。
そういえば、この刺繍の色を何色にするかというのも、大学時代に考えたのだった。部活に所属していた時、たいてい同期みんな刺繍の色を同じにしていた。そのため、それぞれの代によって刺繍の色が違うのが特徴だった。私たちの代は結局、橙色を選んだ。そして、今私が履いている袴の刺繍も橙色を継承している。
今履いている袴は、それこそ大学を卒業してから一緒にアイルランドにも行ったし、台湾にも持って行ったものだ。東京でも使い、今は伊勢で使っている。ある意味、私の人生の一部をともに歩んできた思い出深い袴だ。
しかし、先日の稽古の後にふと気づいた。袴の後ろ板の部分にほころびがあることに。これはこのまま使い続けていると、間違いなく破れて、使えなくなってしまう。この袴を居合の稽古でも使っているし、8月には合気道の演武もある。なので、早めに新しいものを準備した方がいいだろう。
この袴は、本当に思い出深い。大学生の時ほど頻繁に使っていたわけではないけれども、いろいろな場所で稽古をした。合気道が繋いでくれた縁はたくさんあって、それによって救われたこともある。
アイルランドにいたときに現地の仲間ができたのは、合気道をしていたからだ。そして、伊勢にやってきて最初に自分が頼ったのも合気道だった。合気道を通して言葉を超えたコミュニケーションができること、それによって縁が結ばれることを知っていたからだ。
以前、お世話になっている合気道の先生は、合気道をせっかく始めても途中でやめてしまう人がほとんどだといいうことを残念がっていた。確かに、私の大学時代の同期でも、合気道を続けていない人の方がほとんどだ。仕事やら家庭の事情やらでどうにもならないこともある。しかし、続けていることによって初めてわかることもある。
合気道を続けているシンボルのような、もしくは相棒のようなものが袴だった。これまで長く一緒に私と歩んでくれたことに感謝をしよう。そして、新しい袴をまたお迎えしようと思う。きっと、新しい袴と歩む道は、また思い出深いものになるだろう。この次に袴を買い替えるときがきたら、きっと今のように袴とともに歩んだ記憶を思い起こすのだろうな。
2. 今日の瞑想~2024.7.12 Fri 6:30~(15min)
金曜日の朝。今週も怒涛の如く過ぎ去り、金曜日になった。今週もあと少し。頑張ろう。
今日の瞑想音楽はこれ。
姿勢を整えて座る。今日はそれほど眠気を感じることはなかった。とはいえ、雑念はどんどん湧いてくる。雑念を切り離して、無の時間を享受する。気づけばアラームが鳴って終了。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?