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めいそう日記Ver2〜Day337:畳


1. 瞑想小咄〜畳

和室に馴染む畳。最近ではフローリングの家が増えてきたため、自宅に畳がないというお宅も結構あると思う。実際、私が以前住んでいたワンルームマンションには当然ながら和室はなく、もちろん畳もない。フローリングがそこにあるだけだった。

フローリングが悪いわけではない。掃除はしやすいし、カーペットを敷けば個々人の個性を出すこともできる。夏はひんやりしていて心地がいい。とはいえ、畳のあの独特の懐かしさのようなものは、フローリングには決して出すことはできない空気感ではないかと思う。

私は比較的畳に馴染みのある方だろう。実家は基本的に廊下以外は畳だったし、合気道をする上でも畳は必須だった。武道用の畳は、一般家庭の畳と違って弾力はあるけれども、畳と言えば畳。毎日畳の上で汗水を垂らした頃を思い出す。

祖母の家も畳の間がほとんどだった。まだ幼い頃、従兄弟や親族たちが祖母の家に集まってきた時は、畳の間に座卓を置いて、その上に大皿料理がどどんと載って、それをみんなでつつくのが楽しかった。畳は、不思議と団欒の空気感を生み出すような、そんな場所でもある。

ワンルームの家から一軒家に引っ越してきて丸2ヶ月になる。通常私はリビングのフローリングの上に置いてあるテーブルでご飯を食べる。我が家は不思議なことに、リビングのフローリングの地続きに畳の間がある。わずか4畳半の小さな和室だ。

今回、家族が我が家を訪ねてきたので、畳の間に座卓を置いてみんなで食卓を囲むことにした。やっていることはフローリングのテーブルの上で一緒にご飯を食べるのと、まるで変わらないのだが、畳の上で座卓を囲んでみんなで食事をすると、不思議と距離感が近くなるような気がする。

そういえば、居酒屋に行った時も、テーブルを囲んで食事をするよりも、畳の上で食事をする方がお互いの距離感が近づくような気がする。畳のいいところは、時間が経つにつれて各々が好きな場所で自由に話をしたり、お酒を飲んだりすることができるところだ。この自由な空気感が、人の心を和ませ、打ち解かせることに一役買っているのかもしれない。

小さな畳の間ではあるが、個人的には家にこの畳の間があってくれて良かったと思っている。家族の団欒の場にもなり、友人同士が気兼ねなく言葉を交わす場にもなる。まさに、同じ釜の飯を食う場所として、畳は最適な場所だと言えるだろう。

今となっては畳の間が少なくなってきてしまっているが、私たちの遺伝子の中には、畳の間を懐かしく思う心が眠っているような気がする。食事を食べて、お腹いっぱいになって、そのまま寝転がることができるのも畳の醍醐味だ。たまには、気の置けない仲間同士、畳の上で一杯やってみてもいいのではないだろうか。

2. 今日の瞑想〜2024.7.16 Tue 6:00〜(15min)

連休明けの朝。今日からまた頑張ろう。早速瞑想しよう。

今日の瞑想音楽はこれ。

姿勢を整えて座る。今日は心が落ち着いているからか、あまり雑念は湧いてこない感じ。自然な時間が流れる心地よい時間。すっきりした感じで終了。

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