見出し画像

めいそう日記Ver2〜Day278:心の余白


1. 瞑想小咄〜心の余白

「忙しい」という漢字をよく見てみよう。りっしんべんに「亡くす」で「忙しい」と読む。りっしんべんは「心部」と呼ばれる「心」に関する部首の一つで、感情や思考、心の働きに関することを示しているらしい。

そのように考えると、「忙しい」というのは、「心を亡くす」ということに他ならない。確かに、忙しい時というのは、自分に対しても他人に対しても心を砕くことができない状態であり、あれやこれやと頭がいっぱいになってしまっている状態でもある。まさに「Mind-full=頭がいっぱい」状態だ。

このような状態の時には、さまざまな影響が体や心に現れる。余裕がなくなると、いい仕事ができなくなってしまうし、疲れてしまう。ましてや創造性が必要なことがなかなかできなくなってしまう。そんなことを最近ひしひしと感じた。

ここのところ、私は私生活にも仕事においても何かと忙しい日々が続いている。忙しいことは決して悪いことではないと個人的には感じている。やるべきことがあるというのは、きっといいことなのだろう。とはいえ、それも度が過ぎると悪いことには違いないと思うのだが。

しかし、忙しい時に決まって何かと重なるものだ。ただでさえ引越し作業で忙しいにも関わらず、片付けなければならない仕事が増えたり、趣味においてもやらなければならないことが溜まってきたり。

ちょうど今回、俳句の句会が引越し直後にあった。さらに悪いことに、句誌に投句しなければならない締め切りが、句会のまさにその当日ということもあって、都合10句は作らなければならないという、なかなかに苦しいスケジュールに陥ってしまっていた。

一応そのスケジュール感はわかっていたつもりだったのだが、やはり実際にやってみると想像を外れてしまうものだ。最近はかなり疲れているのは自覚していたし、やらなければならないことに追われていて、心に余裕がないこともわかっていた。それでも俳句を「作らなければならない」一心で、なんとか句を捻り出そうと四苦八苦したのだった。

結果、とりあえずできたもののまさに「とりあえず」といった感じの句になってしまった。このような句は、なかなか人の共感を得られにくいものだ。句誌用の句の添削も大概なものだったし、句会でも票が入らなかった。いつもいい句が作れるとは思っていないものの、やはりうまくいかないと凹んでしまう。

今回の出来事を通して思ったことは、やはり人の心に余白がなければ、いいものを作ることができないということだ。それは、俳句のような文学的なものもそうであろうし、きっと仕事においてもそうなのだと思う。

心の余白があるところに、いい閃きが降りてくる。コップの中に水がいっぱいに入っていたら、その上から水を足してもこぼれてしまうのと同じことだ。心にも、閃きを受け止めるだけの受け皿がなければ。

とりあえず、引っ越しは終わったので、これから少しずつ落ち着いてくるとは思う。しかし、仕事が暇になる気配は有り難くも今のところは見えない。とすると、心の余白は自分で生み出す必要があるものだと思ったほうがいいのだろうか。

心の余白。忙しさに心を満たされることのないように、いつもどこかで余白を持てるような余裕を持ちたいものだ。

2. 今日の瞑想〜2024.5.10 Fri 6:20〜(15min)

早いものでもう金曜日。今朝はかはり肌寒い。最近は寒暖差が激しすぎて服を選ぶのが難しい。さて、瞑想しよう。

今日の瞑想音楽はこれ。

姿勢を整えて座る。心の中は静かな状態を目指す。意識は自分の内側、または外側の何かに注目してみるのもいいだろう。瞑想音楽に注目しようと思ったら、音楽が控えめだったので、結局自分の内側に意識を向けることに。穏やかでいい時間だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?