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めいそう日記Ver2~Day282:近い人、遠い人


1. 瞑想小咄~近い人、遠い人

近くにいる人と、遠くにいる人。自分の住む場所が変わったり、働く場所が変わったりすると、近かった人が遠くなったり、逆に遠くにいる人が近くなったりする。

遠くなると必然的にコミュニケーションをとる頻度が薄れ、少しずつ関係が疎遠になっていく。久しぶりに遠くなった人の話を聞くと、びっくりするような状況になっている場合もある。

先日別の記事で、前の会社でかつて勤めていた方が急逝したという話をした。その話を、私と同じく前職を辞めていて、現在も親交がある元同僚に連絡してみたところ、その話は初耳だということだった。

どうやら、その元同僚を介して、現在も同じ職場で働いている人に急逝の話が伝わったらしい。そして、その人はその訃報を元同僚から聞いて初めて知ったのだとか。

少しずつではあるが、その訃報が前の職場に伝わってきつつあるようだ。それぞれ、誰かから人づてに話を聞いて、少しずつ話が広がってきているらしい。しかし残念なことに、葬儀も何もかも終わってしまった後だったのだが。

こうしてみると、あらためて思う。何か火急の事態が起こった時、すぐに駆け付けることができるのは、よっぽどその人にとって近くにいる人たちだけなのだなと。どれほどその人を慕っていたとしても、情報が入ってこなければ一大事に駆け付けることさえできない。人と人との距離感が、こうも情報伝達に大きな影響を与えるとは。わかってはいたことだが、なんとも悲しいものだ。

そう考えると、たとえどれほど近くにいた人でも、ひとたび遠くに離れてしまったら、最後のお別れさえできないかもしれない。逆に言えば、自分自身がお別れしなければならない時に、本当に来てほしい人に来てもらえないかもしれないのだ。

情報伝達が発達して、遠くにいてもまるで近くにいるかのような繋がりを保つことができている今日ではあるが、本来の人間的な繋がりの部分では、どうしても近くにいる人に分が上がってしまう。現代の科学技術では、それは致し方ないことなのかもしれない。

ある意味で、お別れの場に立ち会うことができるのも、縁ということなのだろうか。出会いはご縁というけれども、お別れができるのもご縁。近くにいようが遠くにいようが、縁がある人には情報が行き届くのだろうし、そうでない人には届かない。そう割り切って考えるしか、ないんだろうかなぁ。

2. 今日の瞑想~2024.5.14 Tue 6:30~(15min)

火曜日の朝。今日も頑張るとしよう。では早速瞑想を。

今日の瞑想音楽はこれ。

姿勢を整えて座る。今日は比較的雑念が多かった。ずっと雑念が浮かび続けているため、「今雑念が浮かんできているのだな」と理解するのに時間を要した。今日は雑念が多い日だ。それを念頭に置いて一日を過ごすとしよう。


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