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めいそう日記Ver2〜Day264:質問から生まれる縁

1. 瞑想小咄〜質問から生まれる縁

縁というのは、どこに転がっているかわからないものだ。あの時の出会いがきっかけがなければ、今の自分はない。と言えるような縁が思いがけず転がっている。

深い繋がりになることができれば、そこからさらに縁は広がっていくものだ。まるでわらしべ長者のように、一つの縁がきっかけで、どんどん大きなものへと変わってく可能性もある。そう思うと、せっかく目の前にやってきてくれた縁をみすみす逃すわけにはいかない。

しかし、縁はどのようにして深めていくことができるのだろうか。それこそ、頻繁に顔を合わせるような状況で生まれる縁は、必然的に深くなっていくだろうけれども、一期一会になるような縁の中で、それをさらに深めていくためにはどうすればいいのか。

その答えの一つは、「質問力」だ。

先日、オンライン瞑想会講師のまりこ先生と小旅行に行ってきた。たまたま、私が行きたいと思っていた神社と、たまたま、まりこ先生が10年来行きたいと思っていた神社が一致したので、一緒にいきましょうということになった。

その神社は、「呼ばれなければ辿り着けない」といういわれがある神社で、かなり山奥の方にある。実は私は当初今年の春分の日に行こうと思っていた。春分の日の前に、まりこ先生とこの神社に行く約束をしたのだが、下見も兼ねて行っておこうと思ったのだ。しかし、春分の日当日は嵐だったため行けず。今にして思えば、「今はまだその時ではない」ということだったのかも。

結局、予定通りまりこ先生とその神社に行くことになった。順調に神社に辿り着き、参拝をすることができた。参拝が終わって、そろそろ行こうかと思っていると、ちょうど本殿でご祈祷が始まるタイミングだった。せっかくなので、見ていくことにしたのだが、これがまさかのご縁だったとは。

ご祈祷の終盤で、祈祷を受けていた方がおもむろに楽器らしきものを取り出して、祭壇の前で奏で始めた。これがまた、非常に美しい音楽で、まるで天上をイメージさせるような、そんな華やかで軽やかな音楽だった。

ご祈祷が終わり、その方が歩いていらっしゃったので、私は「素晴らしい演奏でした」と声をかけた。すると、お礼をおっしゃってくれたので、「気持ちをちゃんと伝えられてよかったな」と思ったのだ。これで、このご縁は完結したと思っていた。

すると、まりこ先生が演奏していた楽器に興味を持ったようで、あれこれと質問をし始めた。質問をしていると、次第に打ち解けてきて、さらに色々な話に発展していったのだが、一番びっくりしたのは、その方が現在伊勢に住んでいるということだった。

まさか伊勢から遠く離れた神社で、伊勢にゆかりがある方に出会うことになろうとは。もしかしたら、この神社の神様が「もうちょっと待てばいい縁を結んであげるから待ちなさい」とおっしゃって、春分の日には行くことができなかったのかもしれない。

そんなわけで、まりこ先生の質問から始まった縁によって、一つまた伊勢での楽しみが増えたわけだ。しかし、もしあの時、単に私が気持ちを伝えただけだったならば、このようなご縁には発展しなかった。まりこ先生の「質問」があったからこそ、縁が結ばれたのだろう。

縁というのは、質問をすることで徐々に深まっていく。一方的に気持ちを伝えるだけでは、つながるものもつながらない。質問をすることは勇気のいることだとは思うけれども、勇気を持ってその一言を発することで、自分の未来を変えうる大きな縁になっていく可能性はある。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。

この言葉を言い換えるのであれば。

質問するは一時の勇気、質問せざるは一生の後悔。

そんな感じかもしれない。

2. 今日の瞑想〜2024.4.26 Fri 6:25〜(15min)

金曜日の朝。今日も大体定刻に目が覚めた。いつものように瞑想しよう。

今日の瞑想音楽はこれ。

姿勢を整えて座る。今日は取り止めのない雑念が浮かんでくる感じ。何かに追われてるような感じはしないので、精神的にはリラックスできているのだろう。雑念を手放して集中。また雑念が湧いてきたら手放して集中。それの繰り返し。リラックスできた時間になった。

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