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大人になるまでの障壁②

学校に行くまでにも様々な障壁があることを前回記しましたが、それはまた学校に行き始めてからも同様です。また、この課題はいわゆる教育の在り方や実態、そして時には国家としての思想や指針とも深く関わってくるが故に、とことん多様化してきます。

それぞれの詳しい話はまた追ってしたいと思いますが、大まかな課題にどういったものがあるか、日本とインドそれぞれを比較しながら見ていきたいと思います。

日本の教育課題は、分類が難しい

前提として、日本の(世界の)教育課題は挙げ出すとキリが無いですが、一方で世界基準で相対的に考えれば”それくらいのこと”で済まされてしまうことが多いのもまた事実です。だからこそ、日本国内で絶対的かつ相対的に見た課題を検討していかなくてはなりません。

と言うのも、例えば北欧諸国では大学卒業までの教育費(だけではないですが)が無償。だからこれが最高だし、日本もそうするべき!と考える人もいればそうでない人もいる。未就学の領域の話になりますが、欧州やアメリカ、また最近では日本においても、モンテッソーリ教育などは注目されていますが、こういう教育の方が子どもたちはアイデンティティを大事にして考えられる大人に育つとして望む人もいる。アメリカは子どもの頃からお金の教育をして、投資にまわすことで積極的に資産や生き方を創り上げていく。アメリカの高校では自らの興味のある分野を深く学ぶことができ、大学ではその好きをより一層探求できる仕組みがすごくいい。日本の日本人としての今の教育のあり方が、今この時代には最適…

とまぁ様々ですし、ここには個々人の思想もあります。例に挙げたようなことが絶対的な唯一解とも言えませんし、その国やはたまた個人の望むものがなされればそれで十分だと考えます。だからこそ、教育を受ける側の人たちが選ぶ権利を極力経済的な理由やその他の理由によって妨げられることなく得られれば、解消されることもあるかも知れません。

さて、そうするとまた時系列的に見た場合に、日本は小学校に始まり、中学校、高校という6-3-3体制があり、大学というのが一つのパターンです。専修学校や高等専門学校学校など他にも分岐はありますが、こういう‘学年’で区切った場合に見えてくる課題、その中で見えてくる構造的な課題というのもあります。

また、東京、大阪、北海道、沖縄…全国それぞれ地域が異なれば生じてくる格差、もちろん言うまでもなく生まれた家庭によって生じてくる格差もあります。

何も受益者側の目線だけに留まらず、教育を提供する側の課題というのも多岐に渡ります。教職員を取り巻く課題もまた、地域によって深刻度の大小はあり、成り手不足やその背景に潜む過労の実態、施設を成り立たせなければいけない事情とそうもいかない事情との衝突、様々うごめく中で日本の教育の在り方に対しての抜本的な変革を議論する、もしくは実証実験的に試みている民間やその他団体も増えてきています。

小学校・中学校の場合

そんな中、日本でも義務教育とされる学校に通えていない子どもたちが多くいるのも事実です。文科省の調査によるとその数は近年右肩上がりに増えています。子どもの絶対数が減少しているにも関わらず、という状況なのでその割合と絶対数ともに増えていると言えます。

その背景にあるのが2つ目のグラフです。単に数を見るだけのことに意味はありませんが、不登校による子どもは増え、経済的な理由での欠席者は減少傾向にあります。不登校になる理由は様々で、また近年増加しているのも各地域の教育委員会の考察では様々な要因があります。コロナによるリモート授業によって通学の必要性を感じなくなったというものや、何となく、不明まで様々です。本当に様々なので一概には言えませんが、当然この不登校と大きく括られているものやその他とされる中に家庭での問題やそもそも経済的な原因が隠れているであろうことは言うまでもありません。

文部科学省 令和3年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査
をもとに結び手事務局が編集
文部科学省 令和3年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査をもとに結び手事務局が編集

これらはあくまで表面的に学校に行けているか行けていないかを表しているに過ぎません。この他にも、地理的な要因で極めて通学に困難な事例もあれば、都市一極集中が生んでいる分断のような傾向も見られます。

こうした課題は何も子どもたちはもちろんのこと保護者や学校現場だけが問題の根源ではありません。たくさんある義務教育を取り巻く課題の中でも、文部科学省の中教審は、「地域共同社会意識の低下」も挙げています。つまり、地域の人のつながりやコミュニティとしての自覚のようなもの、そうしたことから生まれる共助の意識などの薄れなどを意味しています。つまりは、日本の課題は一人一人の課題でもあって、何も〇〇政権が悪い!が全てではないわけです。

インドにおける課題とは

日本と比較してみると、義務教育に相当する制度は大きく異なります。それは設計も中身も、概ね全てがです。そもそもインドの場合は、共和制の国であり、日本と同じように立憲主義の国家です。議会もあり、上院と下院に分かれます。大きく異なるうちの一つには、政府が中央と州のそれぞれにあることであり、アメリカのそれとはまた異なるものの、それぞれの州で立法され自治されるのです。

とすると、教育の提供体制も中央政府と州政府が共にありますが、基本的には州政府の自治のもと提供されています。故に、州によって異なる部分があります。なので一例としてで言えば、5-3-2-2体制などがあり、義務教育と位置付けられているのは5-3までの8年間。日本で言うところの中学卒業までです。そして、同じようにこの中に見える構造的な課題もたくさんあります。

あいにく、OECDでもインドにおけるジニ係数が公表されているわけではなく、実際の格差がどの程度かをファクトをもって表すのは困難です。しかしながら、以前もご紹介した通り、1億人以上の貧困層がいる一方で、以下のような数字が見られます。

収入が100万米ドルを超える世帯 ー 412,000世帯

PTI通信

3000万米ドル以上の資産を有する者 世界10位 ー インド 8,880人

World Ultra Wealth Report 2023|Altrata

話を戻しますと、当然何十億、何百億、時には兆の資産を有し、渋谷のヒカリエのような家を持つ人もいれば、明日の食べもの以外に考えが巡らない人たちもごまんといます。故に、どちらかというと経済的貧困から起因した未就学フェーズからの児童労働というケースがまず数としては多く出てきます。もちろん、いざ学校に通い始めても学費や教材費が払えない、進学先でのお金の工面ができないはあります。

次に機会という角度では、単純比較はできないですが日本よりもはるかに乏しいです。学校という箱がないという地域はざらにあります。サブサハラなどの地域ではよく、片道2時間かけて学校に…などという話もありますが、それに近い実態はあり、そうなるとだいたいの場合行かなくなります。箱があってもまともな教職員がいない、いても来ない。これはインドに限らずその国のスタンスに大きく左右されますが、国家における教育の位置付けやそれに付随した教職員の立場の高低は意外にも国ごとで大きく異なります。

政府のスタンスというのも一つ、触れておきたいと思います。政治をどうこう言うのは避けたいですが、こと教育に関しては優生思想とも捉えられる側面が垣間見えます。中間層が増えてきて、富裕層は富む一方です。そういった世帯が選ぶのは、海外の教育機関や私立、インターナショナルスクールです。そして、政府も自身の子どもたちをそうした環境に通わせます。その結果、いわゆる公立における教育投資や改善はなかなかなされず、いかにトップラインをあげるか?という動きが勝って行われます。もちろんそれでも公立に全て通えるだけでも十分とも捉えられるくらいに、下を見ればキリがないのもまた悩ましいところです。

しかしながら現実的には、日本のそれとは様相が違い、公立と私立とでは教育の質の観点でも文字通り雲泥の差と言えるのほど違いがあります。

インドの文化的貧困は何を生むか

より複雑化するこの国の教育課題とは別に、加速化するように経済が成長しています。詳しい影響因子は省きますが、例えば根底にあるカースト、ジャーティ、こうした階層を元に出来上がった法制度。相続税がないが故に仕上がっていく圧倒的な資本主義。なぜか持っていた土地が10倍にも跳ね上がり、ある日突然生まれる成金。混在する宗教。何もすべての人がそうだという気はさらさらないですが、残念ながらこうした環境下で文化的には、つまりモラルや倫理という観点では貧困な状態で富んでいく人々が多いのもまた事実です。不思議なことに、心理的貧困にある富裕層と貧困層とがいるわけです。そこに少しでもその国それぞれの求められる道徳感やもう少し平易に“温かい心”のようなものを持てるようになれば、変わるものもあるのだとは思います。

貧困層が抱える文化的貧困は、当然のことながら人生への諦めや無関心を最終的には生み出します。あくまでそれは最終的な終着点と言ってもよく、その手前で、人を欺く心や人を疑う心、そうした何ともやりきれない心を育んでしまいます。カーストが生んだ正の側面があるという見方もありますし、ごくごく部分的には賛同できます。ただし、メリットとデメリットを天秤にかけた場合にメリットが勝るかというとそうではなく、現にこれだけ物や情報に溢れた社会においても、「そういうものだから」と手を差しのべることができず、ただ自国のプレゼンスアップに奔走するお偉いさん方が山ほどいるのもまた事実です。

子どもが大人になるまでに、身につけておいた方がいい知識やスキルたるものはたくさんあると思います。日本でももちろん、“生きる力”を身につけることも至極大事です。英語が話せること、数学ができること、プログラミングができること、 すべてあった方がいいとは言えるでしょう。

ただ、そうした知を得て活かす先、活かす方法を考えてここの人生を歩む上でも、私は心の教育こそ大事なんだろうなと思います。

Written by Tatsuya

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