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「創り手」と「受け手」と。いろんな見方を通して、自分と社会のことを知っていく

これで「キャリアの棚卸し」は最後の記事。最初に思っていたより随分長くなってしまい、書き上げるのに相当時間がかかってしまいました…。

ひとつ前の記事はこちら。

最後は、会社員をやめて、デンマークに行って、半年後にまたヨーロッパに行くまでに起きてきたフリーランス時代のお話をまとめてみました。


まさかの退職1ヶ月半で、元いた会社に逆戻る

会社を辞めて、デンマークの学校に滞在して2週間くらい過ぎたころ、前の会社の同僚からLINEで連絡が来るのです。

「日本帰ってからの予定決めてないんでしょ? 仕事頼みたいんだけど」

正直、帰国後のことはまったく決めずに出発したので、本当に何も予定がなかったんです。一応大学4年生だったので、「フルタイムじゃなければ」という条件で、まさかの1ヶ月半で元いた会社に戻りました(今度は、フルリモートの業務委託というかたちでした)。


立場が変わったことで、このとき今までとは「逆側」からお仕事をさせてもらうことができたのです。これまではお仕事を「依頼する側」だったけれど、今度はお仕事を「依頼される側」ということ。

「どのくらい働ける?いくらならやってくれる?どういう条件がいい?」

お仕事の条件を自分で決めて、自分の単価を決めて、契約書を確認して、捺印して、毎月請求書を出して、っていう作業なのですが、わたしにとってはそんなこと今まで考えたことなかったので、全部が「うわーーー!」っていう感動でした。言われる側ってこんな気持ちだったのかって。

わたしはもう会社員じゃないから、前提になるルールは何も存在していなくて、自分で交渉しながら決めていくっていうことです。「フリーランスなら当たり前でしょ?」って思われるかもしれないけれど、お給料でしか働いたことがない人にとっては、これってめちゃくちゃ難しいことだと思います。

けれど、このときは交渉相手が元同僚だから素直にあれこれ相談できたし、向こうとしてもまったく知らない人に頼むより全然楽だったんですよね。稀有すぎるお互いWin-Winの状況でこういう経験をさせてもらえること自体が、本当にありがたいなって思いました。


ちなみに、そのとき手がけていたのは、東京都から受託した「DX人材リスキリング支援事業」のコミュニティマネージャーなのですが、結果として、中小企業の方の話を直接聞けたり、お金をあまりかけずにはじめられるマーケティングを学びなおせたりしたことが、本当に学びになりました。

つまり、マイナビのときと同じなんですよね。「いろんな会社があって」「いろんな働き方をしている人たちがいる」っていう幅がまた広がったんです。「会社って最初は一人で始まるんだ」とか「一人でもこんなにできるんだ」とか。最後に冊子制作のディレクションもさせてもらったから、30人くらいのインタビューを通して、また改めて社会の仕組みに気づきました。


当たり前だけれど、中小企業って、一人の方がかなりの範囲を手がけているんですよね。だから本当に集中と選択だし、いろんなバランスの中で進めていかないといけない。あとまだまだけっこうアナログだったりする。

でも、規模が小さいってことは「まだ創業者が中心で会社が動いている」ってことでもあるんです。「何のためにこの会社が存在していて、どういう価値を提供していきたいのか」という想いみたいなものがちゃんと残っていて、その人が変われば会社もぐっと変化するようなしなやかさがありました。

このお仕事はデンマークに出発する3日前くらいまでやっていたのですが、大企業の良いところと中小企業のいいところがそれぞれわかって、すごく貴重な経験でした。

はじめて場づくりする側にまわってみて

もう一つ帰国後にやることとして、Compathのワーケーションコースに参加することは決めていて。今度は参加者ではなく、スタッフとしてのボランティア参加でした。運営側として、「どういう風に参加者とコミュニケーションとっているのか」とか「どういうスケジュールで動いているか」とか運営実態を知れたのがすごくよかったです。

この時期、Compath創業者の二人はちょうどクラウドファンディングをやっていて、すっごく大変そうだったんですよね。事業としてフォルケ1本でやっていくのはそれなりに難しいんだなってことにも気づいたし、色々地域のお仕事とか企業案件も一緒にこなしていることも知りました。


そして偶然にも、わたしがスタッフとして参加するプログラムに、ワークショップデザイナーの友人が参加者として申し込んできたんです。Compathを紹介したのはわたしだけれど、まさかの同じ時期に参加するなんて予想もしていなくてびっくりしました。


そしてそれから3ヶ月後、その人が鎌倉で素敵な古民家を見つけてきてくれて、2人で小さくフォルケホイスコーレのような場をつくることになるんです。「デンマーク行く前に絶対つくる側の経験をしておいたほうがいいよ!」って言ってくれて、一緒に試行錯誤しながら企画をつくりました。

このときはじめて、0から自分たちの場づくりをするっていうことをはじめるのですが、1社目の旅行会社の経験や、2社目のキャンプの企画経験や、Compathのボランティア経験が全部生きてきて、自分が通ってきた道って一つも無駄なことってないんだなって思いました。

芸大の学びを通して、アートが自分にくれたギフトに気づきなおす

この時期、わたしは京都芸大の4年生でもあったので、最後の追い上げでレポートを書いたり、本をめちゃくちゃ読んでいました。

このとき経験できて、すごく良かったなと思うことが3つあって。

ひとつは、フォルケホイスコーレについてレポートを書いたことで、自分の経験を整理できたこと。「そもそもどういう経緯でフォルケホイスコーレができたのか」とか、「ソフト面・ハード面において、日本とデンマークのフォルケホイスコーレはどう違うのか」とか、「これからの両者の展望」とか。わざわざ機会がなかったら文献を探すことはなかったと思うし、自分の経験について客観的に考察することなんて絶対していなかった気がします。


2つめは、アネモメトリという教材がすごく良くて、いろんな生き方に触れられたこと。わたしがすごく好きだったのは城谷 耕生さんの物語です。

城谷さんはイタリアの第一線で活躍した経歴を持ちつつも、長崎県雲仙市の小浜に拠点を構え、エコヴィレッジの構想や「何もつくらない」ことの意味を考えていた人。「新しいものを生み出す」というよりも「その地域に息づく何か」を見出すためにデザインを使おうとしていた人のように見えました。

デザインを高尚なものとしてしまうのではなく、いかに生活レベルに還元して、社会課題を解決していくか。そういった小さな物語がいくつもいくつも、しかも丁寧に描かれていて、すごく興味を惹かれる教材でした。


3つめは、卒論とレポートで地中美術館と家プロジェクトについて書いたことで、福武財団の人とつながりなおせたこと。大学で芸術史を学んだことで、その人の話がより深く理解できるようになっていたんです。

2年越しでアートが持っている可能性にもう一度気づきなおせたし、直島の歴史についても学びなおせた。そして、ここまでのわたしのプロセス自体が福武さんが意図したものにすっぽりハマっていて、自分に起きたことが自分の言葉で説明できるようになっていたことにびっくりしました。


結局レポートを書くうえで一番大変なことって、テーマを決めることなんですよね。「わたしが問いたいこと」を決めるのが一番難しいんです。それを決めれば、情報を集めて、体験と照らし合わせて、まとめていくだけなので。

つまり、自分の人生においても、「テーマを決めるのが一番難しい」ってことなんだと思います。

いろんなことに触れて、いろんなことを感じて、「自分が人生で本当に問いたいこと」を見つけていくプロセス自体がすごく意味があることだし、そのためには時間がかかって当然なんですよね。自分の人生のテーマみたいなものがわかれば、もうあとはその道に沿って行動していくだけだから、自然と必要なきっかけは起きてくる気がします。


あと、このときは同時にワークショップデザイナーの講座も受けていたので、たぶん2年間で60本くらいレポートを書いているんですよね。

「この範囲で自分の問いたいことを考察せよ」(京都芸大)
「この理論と実体験を接続せよ」(ワークショップデザイナー)

という感じなのですが、これって一方的な知識習得型の学びとはまた違うし、会社で資料をつくるのともまったく違う脳みそを使っているんです。

今思えば、このとき集中して言語化することを徹底的にやったことが、いつの間にか書くことの訓練みたいになっていて、自分の思考整理とか、自分がどういうことに興味があるのかを浮き彫りにしてくれた気がします。

頼まれごとを通して、自分のスキルや才能を「価値」に変えていく

結局この半年間、メインで手がけていたお仕事は、コミュニティマネージャーと、レポート冊子の制作と、北欧関連のWebプロモーションだったのですが、すべて前の職場の人つながりで依頼されたもの。やっぱり、会社をいいカタチで辞めるってめちゃくちゃ大事だなって思いました。

お仕事がくるってことは、「わたしの何かにお金を払ってもいい」と思ってくれている人がいるってこと。それならば、お仕事を頼んでくれた人(もしくは紹介してくれた人)にわたしの才能を聞けばいいんだって思ったのです。自分らしさを仕事にするためのヒントが、そこに隠れているかもなって、はじめて思えた瞬間でした。

振り返ってみれば一番長くやっていたのはマーケティングだけれど、わたし自信としては、一番自分の力が活かせるのは企画な気がする。だとしたら、その両方の視点を上手に生かせば、自分らしい仕事が生み出せるんじゃない?って、このときから少しずつ考えはじめました。


正直、企業側としても、会社に所属していなくても、フィールドを変えて成長してくれているなら、ゆるくつながれているほうがいいと思うんですよね。もっと未来に希望を残すように、ただ関係性が変わるだけという感じになったらいいなって。というかこれから一般的になると言われている「ジョブ型」ってそういうことじゃない?って思ったりしています。

そのまんまの自分で大丈夫だって、はじめて思えるようになった

読んでる方はなんとなく感じると思うのですが、わたしは中身がめちゃくちゃ男っぽいんですよね…(思考とか行動の感じが)。男性性が強いというか、Doingベースというか、自分の行動を元に目的を達成していく感じ。

だけど、このとき仕事を辞めていることもあって、珍しく女性性が出てきたタイミングでもあったんです。肩書きがないからこそ、自分のBeingがより浮き彫りになって、久々に目の前の恋愛にも向き合えた時期でもありました。

前に進むときって、自己肯定だけじゃなくて自己受容がないと、あるところで止まってしまう気がします。その人とはもうお別れしてしまったけれど、この不安定な時期にそういうわたしを全部受け止めてもらったことがすっごく大きかった。

何者でもないわたしでもいいんだっていう。わたしが嫌で認めたくないって思っている自分を、自分より先に受け入れてくれる人がいるんだなって。

それまではずっと自分のいいところで人に好かれようとしていたけれど、そういうのを捨てて、そのまんまで愛される自分でいればいいんだって、ちょっとだけ腑に落ちた感じがしました。

人は長所で尊敬され、短所で愛される、って本当なんだなって思いました。


素直な自分で生きたいってずっと思っていたけれど、いつの間にか素直に生きられている自分がいて、それから少しずつ怖いことが減っていったように思います。

素直にお願いする、素敵なところはどんどん伝える、嬉しいことはその場で伝える。それから、できないことは言う、嫌なこともちゃんと伝える。そういう人に対する信頼みたいなものが少しずつ芽生えてきたんです。

もしかしたら、みんな当たり前のように知っていることかもしれないけれど、わたしはずっとその罠に陥っていたんですよね。それまでは、全部自分でやらなきゃって思っていたし、人にお願いしていくことがすごく苦手だった。けれど、ちゃんと周りに頼っていくことで、みんなで幸せになっていく方法があるんだって、やっと気づきました。

まだまだ、そんなに柔らかく生きられてはいないし、自分の人生にもっと心地よくかかわってもらえる方法を探しているところだけれど、、、
わたしらしさを大切にしながら、相手の未来を最高に応援できる自分でいようって、今は心から思っています。


というわけで、ここから2回目のフォルケホイスコーレ体験と、シューマッハ・カレッジとの出会いと、自分で仕事をつくるフェーズにつながっていきます。

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