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Return to Sender vol.2 | LÄHDE

第二弾となりましたミズモトアキラさんの連載「Return to Sender

7月のテーマはLÄHDE(ラフデ)。直訳は「」ですが、石本藤雄さんが1999年にマリメッコからリリースされた同名のテキスタイルに描かれている「蓮(はす)・英語ではLotus」をテーマに、石本さんのこと~音楽のこと、蓮の思い出等々書いて頂いています。

「蓮」というとどこか、日本において、近いような遠いような存在という印象で、個人的にはあまり馴染みがありませんでした、ミズモトさんが敢えて、近づけながら、ずらしながら、さまざまな角度で印象付けてくれることで理解が深まり、石本さんのラフデも見方が変わったような印象です。

今月も、個性の強めの二人、ミズモトさん&当社黒川の”アジ”のあるテキスト、どうぞ。


LÄHDE

Text by Akira Mizumoto

西洋人にとって、もっとも東洋的で、ミステリアスなイメージを与える植物がでしょう。蓮は仏教を象徴する花であり、仏像が座っているのも蓮の花(蓮華座)です。

「泥中の花」ということわざは、大乗仏教の経典のひとつ「維摩経」にある「身は泥中の蓮華」という言葉に由来しています。泥の中で苦悩を耐え忍び、やがてそこから美しい花を咲かせる───という、いかにも東洋人好みの美徳をあらわしていますよね。

石本藤雄さんには忘れられない蓮の思い出があったそうです。
彼が生まれ育った村には蓮池があり、そこに咲く神秘的な花が石本少年の心を強く魅了しました。

1999年にマリメッコで制作したテキスタイル「LÄHDE(泉)」は、一見して墨絵のようにも見え、ピンク色の蓮花はわずかに花びらが1枚きりのぞいているだけです。そして、花の周りを取り囲むような灰色の線は、止まっているのに動いているような、不思議な躍動感を与えています。

鮮やかに開ききった、誰もが知る蓮花のイメージではなく、今、まさにぽんと音を立てて開こうとする一瞬が切り取られていて、このセンスが実に禅的であり、これぞ石本さんの真骨頂という気がします。

石本さんは1960年に東京藝術大学美術学部工芸科に入学しました。藝大からほど近くにある上野公園内の不忍池は蓮の名所として有名です。ちょうど今くらいの時期───7月中旬ごろから8月中旬ごろになれば、青々とした葉が不忍池いっぱいに広がり、花を咲かせます。

もともと不忍池の蓮は江戸時代に植え付けられ、そこから100年以上も見物客の目を楽しませてきました。しかし太平洋戦争のあいだは水田として池が使用されたため、全部引き抜かれてしまったという悲しい歴史があります。

しかしながら、戦争が終わってすぐ復元されたので、きっと石本さんも朝、藝大のキャンパスに通うとき、この蓮の花を眺めたことでしょう。


1960年代頃、禅や瞑想の世界的なブームをとおして、仏教や東洋的な価値観が西洋社会に浸透していったことで、仏教を象徴する花=蓮もまた、さまざまなアーティストに創作のインスピレーションを与えました。

たとえば音楽にも、薔薇ほどは多くはないけれど、蓮(Lotus)がタイトルに付く曲がけっこうあります。その中からぼくのおすすめをいくつか。

まずはジャズトランペッターのケニー・ドーハムが、1955年発表の名盤『Afro Cuban』に吹き込んだ「Lotus Flower」。

デューク・エリントンの相棒だったビリー・ストレイホーンがエリントンのために書いた曲のカヴァー・ヴァージョン。ストレイホーンはその顔立ちからエリントンに”インド”というニックネームで呼ばれていたそうです。

ドーハムはよほど蓮の花がお気に入りだったようで、1959年のアルバム『Quiet Kenny』にも「Lotus Blosom」という自作曲を収録しています。


Lotus Blosomといえば───日本でも非常に人気の高いシンガーソングライター、マイケル・フランクスが1980年のアルバム『One Bad Habit』に「Lotus Blosom」という同名異曲を収録しています。もともとはドン・グロルニックが書いたインストゥルメンタル曲でしたが、そのメロディにマイケルが歌詞を付けました。歌い出しはこんな感じです。

So empty like sky
Without any sun
Lotus Blossom, don't cry
You and I were meant to be one

太陽のない空のようにまったくからっぽなんだ
蓮の花よ、泣かないでおくれ
あなたとぼくはひとつになる運命だったのに

彼は大の日本贔屓として知られていて、この詩にも侘び寂びや諸行無常の感覚が漂っているような気がしますね。

ブラジルのボサノヴァギターの名手、バーデン・パウエルにも、そのものずばり「Lotus」という曲があります。しかし、その曲調はバロック音楽を思わせるもので、東洋的というよりも、むしろ西洋庭園の池に浮かぶ蓮の花に似合いそうです。


イエロー・マジック・オーケストラの後期の名曲「Lotus Love」は、インドに傾倒していた時代のビートルズっぽい楽曲です。人間味がない、機械の音楽だ……と、さんざん揶揄されたテクノポップが、YMO結成からたった数年のあいだで蓮の花のように柔らかく、カラフルなサウンドに進化したことを、まだ中学生だったぼくも非常に興奮した記憶があります。


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ぼくの蓮の思い出は、約10年前、湘南で暮らしていた頃によく遊びに行った、鎌倉の鶴岡八幡宮と光明寺の蓮池です。

特に鶴岡八幡宮の源平池の蓮はとても立派で、池の表面に隙間なく拡がった大きな葉の隙間から、紅白の花が入り乱れて咲く様子には、見るたび圧倒されました。

しかし、ぼくは世の中に存在するすべてのモノの中で、花托がとりわけ苦手なのです。

蓮の花托とは、花が散った後に残る蓮の実が入ったシャワーヘッドのような形の部分のこと。あのツブツブしたビジュアルがとても苦手で、うっかり花の時期を外して見にいくと、ほとんど拷問のようです。

上に掲載したのは北海道から遊びに来た友人を誘って、鎌倉案内をした際にぼくが撮った源氏池。花の盛りを完全に過ぎていて、花托がところどころに写り込んでいるので、自分がうつした写真なのにまともに見られません。

石本さんの「LÄHDE」にも花托は描かれてますけど、ツブツブ感が控えめなので、ぼくにも直視できてありがたい(?)です。

参考資料:『石本藤雄の布と陶』(PIE INTERNATIONAL)


あとがき:
Text by Eisaku Kurokawa(MUSTAKIVI)

ミズモトさんとの連載企画・第二弾で取り上げさせてもらったテキスタイルは「ラフデ(泉)」。石本さんが1999年にマリメッコから発売されたテキスタイルからのテーマでした。

書籍『石本藤雄の布と陶』に書かれている紹介文に書かれているテキストが、素晴らしくまとめられているので、まずはご紹介させて頂きます。

石本さんが育った村には蓮池があった。「花は見ているだけでも心が満たされますが、池に咲く蓮の花があまりにきれいだったので、泥をかき分けてでも取りに行きたいという気持ちに駆られました」と、当時を振り返る石本さん。そんな鮮明な記憶をもとに、蓮の花が夜明けにぽんとはじけるように咲くさまを、布上に表現したかったのだという。どんなに濁った沼でも、清い花を咲かせることができる。石本さんの布いっぱいに描かれた白とピンクの蓮の花を見ていると、清い気持ちに自然となれる


石本さんのテキスタイルデザインの多くが、石本さんが故郷(愛媛県砥部町)で過ごした幼い頃の“原風景”がアイデアの基になっていることは広く知られていることですが、“ラフデ”もそうだったみたいですね。

石本さんとお話していて頻繁に感じることですが、本当に昔のことを鮮明に覚えていらっしゃしゃいます。幼少期の記憶は、ぼくは結構曖昧なことの方が多いのですが、石本さんと話していたら結構細かいところまで鮮明にお話されるので驚きます。

きっと、遠く離れた異国の地で、故郷のことを思い出すたびに、心の目で見るたびに、記憶が鮮明になっていったのではないでしょうか。

そして、それらの記憶は、布上のデザインとして、また陶の作品として転換されて、生み出されていく。

フィンランド発の活動が、フィンランドに、諸外国に、そして故郷日本に、広まっていく過程での石本さんの心境とは、どのようなものだったかといま改めて想像します。

ラフデについて、説明を少し。

前述の通り、1999年にマリメッコから発売されたテキスタイルですが、確認できているカラーリングは3種。素材はコットン製とリネン製の二種がリリースされていたと思われます。

スクリーンショット (176)


あと、ラフデと同じ「蓮」をイメージして同時期にリリースされた「LAMPI(ランピ=池)」というタイトルのテキスタイルもあります。(確認できているカラーリングは2種)

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こちらも、個人的にはかなり好きなテキスタイル。

愛媛県美術館で2018年10月に開催された「マリメッコの花から陶の実へ」でもデザインの基となったスケッチが展示されていました。(下の画像は、当時石本さんにインタビューしてスケッチとデザインの関連性をまとめていた資料の一部)

スクリーンショット (174)


砥部にもこんな連想につながる蓮池があったのか? と思って調べてみましたが、見つかりませんでした。そして、「昔はあったのか?」という想像以上に、「身近なことに意識を向ける時間があった」という違いではないかと感じます。

より便利になっているのに、より時間がなくなっている。
昔の人が当たり前にやっていたことを省略できている筈なのに、その時間をSNSや、youtubeといったメディアに奪われている人も多い。一説には「決断をするたびに私たちの脳は疲れている」と言われていますが、これだけ情報を取捨選択する時代に生きていると、どうしても当たり前のことを切り捨てるように脳がなりがち

身近な幸せを見出す力、ちょっと立ち止まることが、これからの世の中にはより必要なのかもしれませんし、ミズモトさんとお話していてもよく出てくる”Less is more”という価値観は大事だなと感じています。

そんな価値観を石本さんのデザインや表現してきたものから解釈し、伝えていくこと=ムスタキビが行いたいし、残していきたいこと。

また、地域の人々の“しごと”がそういった価値観でつながり続いていくこと、それを実現する=ムスタキビが行いたいし、伝えたいと願うこと。

そんな感じです。
また今月もあとがきのつもりが、長くなってしまいました。

では、来月も宜しくお願いします。
再来月くらい? からは石本さんに直接インタビューもできるといいなと思っています。


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