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家族・友人・同僚・部下の方が適応障害になった人のための記事
無双留年ボルバルザークと申します。
容姿と挙動と言動以外、怪しいものではございません。
この記事は、家族・友人・同僚・部下が適応障害になった方の助けになればと考え、執筆しました。
(適応障害の方本人が読むとおそらく辛い気持ちになるので、極力読まない事をおすすめします)
周囲にいる人の影響はめちゃくちゃデカい
適応障害の治療や休養において、周囲の人たちが適応障害に理解があるというのは回復する効率を高める上で必須の条件でしょう。
逆に、周囲の理解が全くなければかなり辛い環境になり、所謂「詰み」と呼ばれる状況は簡単に起きると言えます。
何が言いたいかというと、「うっかりあなた自身が適応障害になった方に、とどめを刺す一言を言わないようにしてほしい」という意味です。
よって、本記事では「適応障害になるとどうなるか」「絶対かけてはいけない言葉は何か」「逆にこういう言葉はかけるとよいかもしれない」という構成で進めていきます。
適応障害になるとどんなふうになるの?
(※は 「そばにクリニック大井町」HPより引用)
症状は精神的症状・身体的症状、さらに行動面の症状に分類できます。
精神的症状について※
不安 抑うつ 無気力 思考力・集中力の低下 イライラ 悲壮感 焦り 神経の過敏 混乱 赤ちゃん返り(指しゃぶりや赤ちゃん言葉) など
よくある症状
好きな趣味への関心が著しく低下する
精神的症状について(私の場合)
思い当たる節は正直少なかったです。
物忘れが激しくなったり、ミスが増えたり、言葉に詰まるようになったような気がする…程度の感覚しかありませんでした。
誤解してほしくないのは以下のような解釈です。「あぁ、なら症状が軽いのね」「なら適応障害じゃないのでは?」という感じの意見です。
実のところ私の場合は、精神的な感覚は全て手の中に握り潰していたので、向き合う事が未だにできていない、というのが正確な表現になります。
もう少し具体的に述べましょう。
昔から本当につらい時に、おまじないのように自分に強く言い聞かせている言葉があります。
それは「俺は命令を聞く以外に権利がない犬だ」「自分は意思を表示する資格はない獣だ」「戦いに行くんだ、顔にも目にも出しちゃいけない」です。
恥ずかしなら、こういった自分を納得させる言葉を並べる習慣があり、この状況を鑑みると、ある種の悪癖だったようです。
適応障害の原因と思われる時期については、そういう自分を納得させる言葉を心の中で連呼して、Bluetoothイヤホンでパイレーツ・オブ・カリビアンのテーマ音楽を20分くらい聴いてアドレナリンを出して洗脳して、何とか身体を動かして1日を始めていました。
これを繰り返した結果、苦痛や嫌悪を感じるはずの人間としての機能を失ってしまっていたようです。
身体的症状について※
全身の倦怠感 不眠 涙が止まらない 食欲不振 動悸 過呼吸 頭痛 肩こり 腹痛
身体的症状について(私の場合)
不眠、動悸、震え、瞬間的な発熱(数時間で一気に37,38℃くらいまで上昇する)、吐き気、動けない系のダルい感じなどでしょうか。
行動面の症状について※
無断遅刻 無断欠勤 早退 不登校 仕事の停滞 過剰飲酒 暴食 無謀な運転 ギャンブル中毒 喧嘩 器物の損壊 ひきこもり など
精神的症状について(私の場合)
仕事面ではミスや遅刻が増える、事務連絡や報告などが面白いほどできなくなります。
めちゃくちゃ真面目に生きてるのに、やらなきゃいけないことはわかっているのに、です。
「報告できないのは社会人失格」など、皆様言いたい言葉はおそらくあるでしょう。しかし、体が急ブレーキをかけるので動きようがないんです。トリモチやローションの上をもがいて移動できなくなっているのに「早くこっちまで来い」と怒鳴られている感覚に近いでしょうか。
いずれにせよ、うっかりミスの予防策を論じるような思考回路なんて、とてもじゃないですが説明できません。
休養を取るとどうなるか
これは私も完治していないので、休養序盤の話のみ客観的に話せる状況となっております。
すぐに回復し始める訳では無い
確実に言えるのは、休養を開始してからすぐに回復していく事はなく、最初の1,2カ月は自分の疲れを認め、受け入れていくための期間になる事。休養は前述の期間を経てから始まっていく事です。
疲れを認め、受け入れていくための期間が、ある意味一番症状が重くなります。
分かりやすいのは駅伝やマラソンを走った後の状態でしょうか(駅伝やマラソンは詳しくないので、実際と異なっていたらすみません)。
走り終わった後に、急停止は避けて数十歩ほど歩いて徐々にペースを落として、なだれ込むように倒れてタオルをかけてもらうような感じです。
休養開始最初の1,2ヶ月は悪化している気さえする。
最初の1,2ヶ月はフル回転していた時の体調や活力と比較すると落ちていきますし、その過程は休養というより休養の前段階として疲れに向き合うための時間となります。
本人の体感的には体調がどんどん悪くなっていきますが、ハイになっていて向き合えなかった疲れに向き合う過程なので、悪化している訳では無いです。どうやら最初に必ず通る道だと思うしかないです。
絶対に言ってはいけない言葉
この記事を読んでいる人の多くは、具体的な行動指針として、おそらくこれが気になるのではないでしょうか?
医学的な根拠の保証まではできかねますが、私が通うクリニックでも同伴者向けの資料に同様の旨が書かれているので、大きくは外れないものと思料します。
①「これからどうするの?」「いつまで休むの?」
「これからどうするか考えてたら、休養なんてできないだろ!」みたいな星一徹昭和頑固親父的な発想があるのでしょう。
実際のところ、私自身数ヶ月迷い、既に何十回も考えたに決まってます。
考えて考えて考え抜いた末に、耐える以外答えがないことに絶望し、それでも明日食う飯や今住む家の維持のために無理くり働いてキャパオーバーになった結果、ぶっ壊れてあなたの目の前にいる訳ですから。
よって、その質問は全くの無意味、あるいはナンセンスです。重ねて書くと、「いつまでに治るの?」「治らなかったどうするの?」「それで復帰できるの?」なども絶対にやめてください。理由も同様です。
それでも言ってはいけない理由が想像できないなら、こういった思考実験はどうでしょうか。
たとえば指定難病などに罹患した人に、「これからどうするの?」と言えるでしょうか?言えない方は、心の病も同様の倫理観が求められる倫理観をアップデートする必要がありますし、言えてしまう方は…何とかにつける薬はありませんっていいますからね。
いずれにせよ、今後の過ごし方について休養になるより良いアイデアや、気分転換の方法があるとか、本人が自覚していない長所を褒めて労うとかならまだいいかもしれませんが、基本的に言ってはいけない一言だと思ってください。
生活費については、健康保険組合に加入していれば、傷病手当金とかの制度もあるので、もし本人がそれを知らないなら教えてあげてください。制度の詳細は、所属する健康保険組合に問い合わせいただく方が好適と思われるため、割愛させていただきます。
②「私はもっと辛い(けど耐えてる)よ」「もっと辛い人は沢山いるよ」
関係崩壊必至の一言でしょう。少しでも口にしてしまいそうなら、そもそも会うことを辞めるか、相当慎重に言葉を選ぶ事を推奨します。
「明日も仕事だわ~」などの、いわゆる社畜ネタも極力避ける方がいいです。
③「頑張りが足りないんじゃないの」
頑張りすぎた結果がこの病なので、あまりにもナンセンスですね。努力の軌道修正ができなかった、などの方が実際の状況に近いのではないでしょうか。
ただ、仕事に起因する適応障害であり得ると思う状況は、本人の能力評価と周囲からの能力評価が大きくかけ離れている、あるいは心理的バイアスで正しく評価がされていないケースです。
・本人だけが自分の能力を低いと思い込んでいる
・本人が伸ばす努力をした強みは、実際にはあまり役割が、求められないスキルであり、伸ばすことで強みが生きるスキルが存在していた
・本人だけが強みに気が付いていなくて、空回りしていた
などは大いにあり得ると思います。
適応障害になってしまった本人が忘れかけている強みや長所などを、思い出すきっかけになる言葉なら、かけてあげても良いかもしれません。
④「元気そうに見えるけどね」「それだけ元気なら適応障害じゃないよ」
これもダメなの?と思うかもしれません。
あなたのために相当踏ん張って出てきているので、当たり前です。身体に関する病だった場合、様子を見て「病気には見えない」なんて言葉は出て来ないでしょう。
休養し始めてかなり時間が経った頃に「休むようになってから少し顔色良くなったね」なら、まだいいかもしれません。
あと、適応障害かどうかなんて、素人が見てわかるものではありません。レース直前のパドックを見ても、1着のサラブレッドをなかなか当てられないのが人間です。明日電車に飛び込む人ですら「元気そう」とか言われてるのが実情ではないでしょうか。
一方で、鬱や適応障害になったことがある人は直感が働くのか、敏感に感じ取る人もいるようです。キングコングの梶原さんがそういうのに敏感で、この人はヤバいかもしれないと感じたら声をかけることがある、とAbemaTVで仰っていたのですが、実際1度なると敏感に感じ取れるみたいなデータとかあるんですかね?ソンディテストみたいな。
⑤「メンタル弱いんだね」
メンタルは数値評価ができないため比較は出来ませんが、正直あんまり関係ないように思います。
また、体育会系出身など「自分は鍛えてきてメンタルが強いから絶対に精神的な不調は起きない」と思うのは勝手ですが、それが他者を弱いと決めつける資格や、弱さを指摘する資格にはならない事は留意しておくのが良いでしょう。
実際のところ、自衛隊員や警察官の方のメンタル関連の休職って多いのでしょうか?鍛える機会には恵まれるはずなのに、わりと多いらしいという定性情報が風の噂で入ってきますが、統計データなどは手に入らないので、知っている人がいればコメントなどいただけますと幸いです。
⑦「〇〇は甘え」
令和の現代ではネタや悪ふざけだと思いたいですが、未だに口にする人がいるようです。私から申し上げることはありません。“何とか”につける薬はないのですから。
最後に
適応障害という事実に蓋をする行為は、なんの意味もない
言わないほうがいい言葉に共通するのは「適応障害という事実がなかった事になれば、自分はラクができる」という思考回路だと思います。
甘えた本人を正すためじゃなくて、あなたが責任を追わなくていいから認めたくない、この事実をなかったことにしたい、という原理が働いているように思います。
もちろん、時には愛ゆえの厳しい言葉だってこの世にはあるし、それが必要な状況があることも承知の上で言ってます。
怪我や病気が突然なかった事にならないように、精神的な病も突然なかったことにはなりません。
むしろ、傷口や骨折など視覚的に回復の進捗が分からない故に見通しを立て辛いところに、この病の厄介さがあるように思います。
仮にその方が患ったのが精神的な病でなく、治療法も分からない、いつ治るかも分からない難病指定の疾病だった場合、「これからどうするの?」「もっと辛い人はいるよ?」など、同じ言葉は出てくるでしょうか?
必要なのは根性でも思いやりでもなく、技術
同時に伝えたいのは、「言ってはいけない言葉を思いつくのは、あなたが思いやりがない人だからだ」とは全くもって言えない点です。
敢えて言えば、生まれ持って身につく人が多数派ではない緊急時であるため経験や知識に大きく左右される事が向き合うべき本当のテーマである事、この状況下で言葉を選ぶ技術は後天的に取得しうる事が、周知されるべき教訓なのでしょう。
大切なのは、その教訓を座学や伝聞で予防的に覚えるか、あるいは大切な人との関係に取り返しのつかないヒビを入れてやっと覚えるか、あるいは全く理解を深めないまま覚える選択肢を取らないか、あなたがどれを選ぶかではないでしょうか。
私個人としては、深い後悔に打ちひしがれる方は現れて欲しくない。
言葉に起因する不幸を減らすのに、必要なのは技術である。
これを以て、結びの言葉とさせていただきます。
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