大橋モスリン

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大橋モスリン

過去の旅や日常の、定かではない記憶を書いてます           https://twitter.com/muslinbashi https://twitter.com/mosurinbashi

最近の記事

阪神タイガース

阪神タイガース、18年ぶりのリーグ優勝おめでとう。 関西に生まれ、人生の大部分を関西で過ごしてきた人間にとっては、阪神タイガースは好む好まざるにかかわらず生活の一部であり続けてきた。そもそも初めてのプロ野球体験は、幼稚園児だった頃(関西ならではの英才教育!)、近所に住む幼馴染の一家に連れていかれた阪神甲子園球場だった。幼馴染のおばちゃんが「佐野~♡」と黄色い声で小旗を振っていたことを思い出す。小学校へ上がっても同級生はみな阪神ファンであり、私も阪神に対して好意は持ちこそすれ

    • オリックス

      オリックス、パリーグ二連覇おめでとう。 今の時代、もはやプロ野球なんてしょせん数多くあるたのしみのひとつに過ぎないが、昭和生まれのおっさんからすると、やはり娯楽の王様はプロ野球である。昭和の親父は、晩酌しながらプロ野球中継をみて死んでゆくものと相場が決まっていた。 関西人の私がこんなことを言えば、サンテレビのタイガース中継を連想する人もいるかもしれない。ところが、家でついていたテレビはずっと巨人戦だった。別に父は巨人が好きなわけでは決してない。いわゆる「アンチ巨人」という

      • 雑煮

        今も昔も、子供にとって正月は特別な行事だ。大晦日から三が日、世間のハレの日としての高揚感につられて、私も浮ついた落ち着かない気分になったものだ。とは言っても、子供の頃の正月は、元日にはカブスカウトで山に登り初日の出を拝み、疲れて帰ってきた家で母のおせち料理と雑煮を食べ、近くの神社へ初詣にゆき、祖父母の家で親戚やいとこたちと会い、そしてお年玉をもらう。それだけで三が日は終わってしまい、それ以上の大した思い出もない。ただ、私が幼少期を過ごした昭和末期は、親戚同士が今では想像できな

        • 東鳴子温泉

          学生の頃から東北が好きで、休みのたびに18きっぷを使ってあちこち旅していた。なぜ東北だったのか、それは語るに恥ずかしい話でもあり、かつて私が好きだったものと関係している。高校生の頃、それまで中央公論社や晶文社の単行本、あるいはガロの特集でしか読むことのできなかったつげ義春の作品が、筑摩書房から全集の刊行が始まり身近になりつつあった。なけなしの金で全集を買い始めた私は、たちまちつげワールドに魅了され、そこからひなびた温泉地に興味を持ちだした、という訳だ。そんな野郎が次にはまるも

          さくら野百貨店

          仙台には、仕事でも私的な旅でも何度となく訪れたが、いつも仙台駅を降りると背筋が伸びる心持ちになる。緑あふれる街並みは美しく、その透き通った冷涼な空気は、関西のくたびれた汚い街のそれとは大違いだ。昭和の終わり頃、サントリーの社長が東北はクマソだかエミシだかの土地だから文化がないという差別発言をして問題になったが、とんでもないことである。関西が文化的な日本の中心、と東北を見くだす古ぼけた目線のまま、内面は何もアップデートできていないから、こんな恥ずかしい発言に行きつくのだろう。

          さくら野百貨店

          あかり

          市街地に温泉銭湯のある街は良い。鹿児島しかり、甲府しかり。いかにも観光地然とした温泉の情緒も良いけれど、たまたま訪れた街で風呂屋に行ってみた、すると温泉だった、みたいな意外性があるとなんだか得した気分になる。実は帯広も市街地に良質な温泉がわく街で、珍しいモール泉の公衆浴場が点在する。もっとも、そんなことも知らずに、ちょうどできたばかりで記念特価だった帯広駅前のJRインに投宿した私は、窓から見える別のビジネスホテルの塔屋にまで「天然温泉」の赤いネオンが灯っていることに驚き、少し

          北の屋台

          「やっぱり、今でも『北の屋台』が人気あるんじゃないですかね?あんまり街に行かないからわからないですけど」現地の人に帯広で良さそうな飲食店について尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。なんの前情報もなく所用を終えた私は、全国的にも有名らしい『北の屋台』すら一体どういったものかも知らないまま、帯広で酒を飲もうとしていた。 私は、屋台やバラックの飲み屋がごく普通に街の一角に存在していた最後の世代の人間だ。祖父母の家は他の路線に乗り換えられず、よって大した賑わいもなかった大阪環状線

          幸福駅

          数年前、縁あって月一くらいのペースで北海道に通うようなことがあった。その目的地は札幌がほとんどではあったものの、何度かは帯広や室蘭など地方都市へ行く機会にも恵まれた。このご縁はふいに途切れ、帯広には結局一回行ったきりとなってしまったが、三十を過ぎるまで北海道に足を踏み入れることのなかった私は、塀のない北海道の家々に驚き、北〇西〇といった記号のような地名に迷い、とにかく北海道で目にするものすべてが驚きの連続だった。ただ、帯広という町は、地理が一番好きな教科であった私にも「帯広と

          はじめに

          訪ねた土地や酒場、そして日々の些末な事をメモ代わりにTwitterでつぶやきだしてからもう随分経つ。実は、かつてMixiでも非公開アカウントながら細々と記録を付けていた時代があったので、かれこれ二十年近くこのようなことをしてきた計算になる。極私的な備忘のために記録していたものが少なからぬ人々に見られるようになり、恥ずかしく思うと同時に、物笑いのタネや慰みものとして多少なりともお役に立てているのであれば、やはりそれは喜ばしいことなのかも知れないとも思う。なによりSNSに毒されて