さくら野百貨店
仙台には、仕事でも私的な旅でも何度となく訪れたが、いつも仙台駅を降りると背筋が伸びる心持ちになる。緑あふれる街並みは美しく、その透き通った冷涼な空気は、関西のくたびれた汚い街のそれとは大違いだ。昭和の終わり頃、サントリーの社長が東北はクマソだかエミシだかの土地だから文化がないという差別発言をして問題になったが、とんでもないことである。関西が文化的な日本の中心、と東北を見くだす古ぼけた目線のまま、内面は何もアップデートできていないから、こんな恥ずかしい発言に行きつくのだろう。
歴史を背景にした抑圧構造と差別意識、そしてそれに呼応する根深い不信が積み重なってか、東北人は伝統的に関西人のことを良く思っていない、あるいは思っていなかったと、かつてはしばしば耳にした。〇〇人とひとくくりにして論じてもなんの意味のないばかりか、偏見を助長する行為ですらあることは重々承知しているが、その様な話は関西人の少なくとも一部の間では語られ、それは私の東北に対する接し方にも少なからぬ影響を与えてきた。だから東北の地では背筋が伸びるし、東京乗り換えをはさんで片道四時間半ほどの新幹線の車内では、気張って酒を飲みすぎることにもなる。
この四時間半の道のり、というのは、鉄道好きではない普通の人が、新幹線利用を選択するギリギリの距離であり、酒飲みが車内で宴会を始めると良い具合にベロベロになる最適な時間でもある。ただ東北では、私は関西人として恥ずかしいふるまいをせぬよう、明治時代に西洋へ留学した面々みたいな気負いがあるから、おそらく見た目では関西人とバレないはずなのに、酒に酔って仙台駅に降りただけでも関西人のイメージ低下につながるのではと、どうしても意識してしまう。そういえば、東日本大震災の翌年、震災後の景気で賑う国分町には関西からも復興工事を請負う人々が多数出張っていて、とあるしっとりとしたバーでもそんな団体客の関西弁がうるさくて閉口したことがあり、やはり東北の地では関西人はどうしても悪目立ちする宿命にあるのかもしれない。
もっとも東北に限らず、ガラの悪い人間といえば関西人、関西弁は怖いといった(おそらくは)偏見は根強い。それでも、今や東京でも関西弁を耳にする機会は多いし、それこそテレビなどの媒体ではあまりにもありふれたものだから、首都圏に住む人々にとってもすでに日常の一部となっているのではと想像する。そもそも上方のことばは、江戸時代なら、東えびすのますらおっぷりと比べてナヨナヨした男の代名詞としての扱いだったはずで、本来ガラの悪さを連想するものでは決してなかった。実際、東映の実録ものを見てもわかるようにやくざの話す広島弁の方がずっとインパクトがあるし、広島弁に限らず方言を話すやくざには、そこはかとない威圧感がある。
十年ほど前、仙台での所用を終えた私と同僚は、軽い打ち上げもかねて駅の近くで一杯やるか、となった。当時の仙台駅前にはさくら野百貨店があり、駅前という好立地ながら何ともさえない印象のデパートで、その裏の通りも、風俗店や特に風情もないただ酒をのませるための酒場が集まっているようなところだった。それでも、昼からやっている店は予想外に少なく、限られた選択肢の中から、串ものを食わせるなんてことはない酒場に入ることにした。
店内は、やんちゃそうな若者、やくざっぽいひげ面な初老の男とその子分らしきチンピラ数人、そしてくたびれたサラリーマンの群れ、と、同席をためらう人々で満員である。そうは言っても、こっちもくたびれたサラリーマンだし、同僚と新幹線の時間まで小一時間飲むだけのことなので、ままよと席に着きビールで乾杯したのだが、我々のとなりの席にいたやんちゃそうな若者二人連れの飲みっぷりが明らかにおかしい。特にそのうちのひとりが恐ろしいピッチで、ハイボールをひたすらお代わりしつつ、途中で日本酒も頼んだりして、やりたい放題である。東北の人はやっぱり酒飲みなのかなぁと、月並みな感想を抱きつつ見ていると、案の定、急速にアルコールが回りだしたのか、ほどなくして丸椅子ごと派手に店内の床にぶっ倒れてしまった。どうやらつまずいた訳ではなく、完全に酔いつぶれたようで、床に転がったまま吐きだしている。連れのほうもひどく酔っぱらっていて、それゆえ特に慌てるそぶりもなくヘラヘラと笑うばかり。とんでもない店に入ったと、同僚と顔を見合わせた。
すると、見かねたらしきひげ面の初老やくざが若者のテーブルに近寄ってきて、どすの利いた東北弁で、お前らとっとと帰れ、といった内容のことを割れんばかりの大声で怒鳴りつけた。その声を聞いた店員が飛んでやってきて、早々に若者二人を店外に追い出し、あわてて床の掃除を始めた。この東北弁やくざの怒鳴り声は、関西のへたれた男である私にとっては何をしでかすかわからない、たとえるならアフガニスタン山岳部の部族の長を怒らせた時のような異文化の怖さにあふれていて、ただ震え上がるしかなかった。あまりにも強烈な体験だったので、それ以来、東北弁のやくざが一番怖いという話をあちこちで繰り返し語ってきたが、どうやら語りすぎたみたいで、友人たちには飽きられ呆れられている始末である。仙台をはじめとした東北の旅は、楽しい思い出ばかりだから、なおのことこの体験が強烈な相反する印象として今も記憶の中に刻み付けられているのだろう。インターネットで確認すると、この酒場は現在も盛業中とのことで、無性に懐かしくなった。なんてことはない酒場だったが、次に仙台へゆく機会があれば再訪したい。
帰路、新幹線の仙台駅で「青葉城恋唄」の発車メロディを耳にする。これで仙台ともお別れだ、と実感がわく。上りの列車を待つ仙台駅もまた透んだ空気に充ちていて、先ほどの淀んだ酒場とたかだか数百メートルしか離れていないことが嘘のようだ。発車メロディで感傷的な曲といえば、なんといってもひと気のない福島駅構内に流れる「わが栄冠は君に輝く」だが、この仙台駅の「青葉城恋唄」も良いものである。
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