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幸福駅

数年前、縁あって月一くらいのペースで北海道に通うようなことがあった。その目的地は札幌がほとんどではあったものの、何度かは帯広や室蘭など地方都市へ行く機会にも恵まれた。このご縁はふいに途切れ、帯広には結局一回行ったきりとなってしまったが、三十を過ぎるまで北海道に足を踏み入れることのなかった私は、塀のない北海道の家々に驚き、北〇西〇といった記号のような地名に迷い、とにかく北海道で目にするものすべてが驚きの連続だった。ただ、帯広という町は、地理が一番好きな教科であった私にも「帯広といえば○○」と言いきれる特徴が何も思いつかず、とらえどころのない印象しかなかった。実際、帯広と聞いて思い浮かんだことは、小学校の学研ものしり図鑑で知った、世界一長いベンチがあるといった豆知識の類で、なんと四百メートルの長さを誇ったもののその記録もすぐに日本のほかの自治体に破られたとかなんとか。まあそんな帯広には申し訳ない状況で、帯広の町はずれにある空港に降り立ったのだった。

空港から乗りこんだバスは、十勝平野を南北につらぬく路線で、帯広までの主要な集落を結んで走る。バスは、発車してまもなく幸福バス停に着いた。縁起切符としておそらく全国一有名だった旧幸福駅は、駅舎はそのままの姿で記念として今も残されている。旧国鉄広尾線にはほかにも愛国駅という駅もあって、元々は忠臣愛国の愛国に由来する駅名ではあるものの、縁起切符ブームで半ば強引に「愛の国」とされ、「愛の国から幸福へ」の幸福駅とのワンセットで人気を博したことは、中年より上の世代なら覚えている人も多いのではないだろうか。しかし、そんな縁起切符の売上だけでは赤字路線を救うまでには至らず、たしか俳優の津川雅彦氏が娯楽施設を沿線につくり広尾線を残す計画をぶちあげていた記憶もあるにはあるけれど、結局は立ち消え、第2次特定地方交通線に指定された末にバス転換となった。廃線自体があんまり縁起のよいものではないだろうし、縁起切符にもなんの興味もない私だが、あんなにも有名だった旧幸福駅の近くまで来たのならいっちょ見といてやるか、という若干不遜な、ひやかしの気持ちで途中下車してみることにした。

幸福バス停から看板の指すほうへ歩いてゆくと、ほどなくして旧幸福駅の駅舎と、派手なビニールテントの貼られた古びた売店が見えてきた。お客は私ひとり、記念広場に面した売店では暇そうにおねいさんが店番をしている。廃線からすでに三十余年の時が経つものの、今も「キップ発売中」等と書かれた看板が目立つ。そんなおねいさん私に気づいたのだろう、やにわに駅員の声真似で「幸福~、幸福~」と繰り返しはじめた。どうやらこれはお土産や切符を買ってもらうための客寄せのサービスらしいのだが、かといってやる気というか商売っ気はみじんも感じられなかった。ただひたすらに「幸福」の単語が、発車する列車もなく幸せになるべき人もいない広場で連呼される光景。それは、「幸福」ということばがその場の主役であるはずなのに、とても言い表すことのできない絶景だった。この商売のために「幸福」という単語をおそらく日本で一番発声してきたおねいさんは、はたして幸福なのだろうか。おねいさんの考える幸福とは?呑気に機上からジャガイモ畑を眺めていた一時間前、幸福についてこんなに考えさせられることになろうとは想像もしなかったし、このためだけにでも帯広に来た意味があった。

そんな旧幸福駅から、路線バスに再び乗って、帯広の市街地へと向かう。見わたすかぎりの畑が続くが、ところどころにあるまとまった集落は、農協や薬店、理髪店や美容室、そして個人飲食店が核をなしている。どれほど広々とした場所であっても、集団で生活するのが人間、社会こそが人の人たるゆえん。地方の小集落にあるスナックの扉を開けた瞬間、全員顔見知り同士であろう地元客の突き刺さるような全視線が、招かれざる客の私にそそがれた経験はいくらかあるけれども、それと表裏一体の社会性ともいえる。なお、後にこの辺りにお住まいだった方から、街道沿いの大正集落にある『ロン』というジンギスカン屋さんが、趣深い店構えにもかかわらずとても気さくな名店と伺った。Googleマップで調べると、近くには『六本木』なる素敵な店名のスナックもあり、地域住民のお邪魔にならぬよう気をつけつつ、この『ロン』から『六本木』へ、いつの日かはしご酒をしてみたい。

景色を眺めているうちにあっという間、路線バスは終点の帯広駅南口に到着した。窓越しに見つけた、本州ではすっかり目にすることもなくなった、中堅スーパー長崎屋の「九」みたいな鳥のシンボルマークがやけに懐かしかった。なにしろ私が小六のとき、彼女連れの高校生に人生最初でおそらく最後のカツアゲをされそうになり、絶望的な状況で逃げきった現場がわが地元の長崎屋だったのだから。そもそも彼女連れの高校生が小学生からカツアゲしようとするんじゃないよって、今でも時折思い出しては恨みの気持ちを新たにしている。

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