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あかり

市街地に温泉銭湯のある街は良い。鹿児島しかり、甲府しかり。いかにも観光地然とした温泉の情緒も良いけれど、たまたま訪れた街で風呂屋に行ってみた、すると温泉だった、みたいな意外性があるとなんだか得した気分になる。実は帯広も市街地に良質な温泉がわく街で、珍しいモール泉の公衆浴場が点在する。もっとも、そんなことも知らずに、ちょうどできたばかりで記念特価だった帯広駅前のJRインに投宿した私は、窓から見える別のビジネスホテルの塔屋にまで「天然温泉」の赤いネオンが灯っていることに驚き、少し後悔したりもした。このJRインも2021年で閉館し、サービス付高齢者向け住宅に転換されるらしい。インバウンドの夢がコロナでついえた超高齢化社会日本の現実をこうも見せつけられると、何ともやりきれない気持ちになる。そんな時は、せめても温泉に入ってうさを晴らすに限る…と当時思うはずもないが、知らず知らずのうちに温泉地に来ていた私は、あわてて帯広市内で温泉のわく公衆浴場を調べ、特に良さそうなアサヒ湯へ向かうことにした。

駅から東のほうへ歩いてゆく。当時はスマートフォンのマップ機能が脆弱だったのか、あるいは自分自身がスマホを充分使いこなせていなかったのか定かではないが、宿で確認したインターネットの地図をスマホのカメラで撮影してその写真とにらめっこしながら目的地をめざす、といった牧歌的な時代だった。駅近く、『平和園』という名前の、古くて大きな焼肉屋のネオンがとても格好良い。いかにも北海道風の建物と、鶴橋にでもありそうな「焼肉 平和園」のいかめしいネオン文字との組み合わせが、道外の人間には絶妙な不協和音を奏でているように感じられ、こんなところでふいに旅情をかき立てられたりする。風呂上がりにひとりで焼肉を食べるのも悪くないな、と思った。

それにしてもお目当ての公衆浴場が見つからない。北海道の市街地はただひたすらに「碁盤の目」で、直角に交わる道はどちらも同じ太さの似たような景色がえんえんと続く。碁盤の目なまち代表の京都も、北海道の道の碁盤の目っぷりを前にすればかすんで見える。夕暮れ時の見知らぬ街はずれにあって、この「碁盤の目」は完全に方向感覚を失うトラップとしか言いようがなく、どうやら私は道に迷ったらしい。心細くなりながらも、運よく家から出てきた地元の人に道順を教えてもらって、どうにかこうにかアサヒ湯にたどり着いた。さみしい道中とは打って変わり、アサヒ湯は明るく新しい造りの清潔な公衆浴場で、モールの香りがただよう素晴らしいお湯だった。お客も少なく、茶色く濁ったお湯があふれる熱めの温泉を心ゆくまで楽しむことができた。こんな温泉を日々楽しむことのできる帯広市民は、本当に幸せ者だ。

すっかり日も暮れたので、湯上がりに帯広の夜の街へと繰り出す。温泉までの行きがけの長い道のりはいったい何だったのか、と感じるくらいにあっさりと中心街まで戻り、車道もふくめた広い道に全蓋式のアーケードが掛けられた広小路商店街を抜けると、スナックや居酒屋が昔ながらの小路に密集する歓楽街に出た。ひとけのない道沿いに、黄色に黒字で「いなり小路」「エイト街」「新世界」と書かれた古い看板が美しく灯る。今なら間違いなくカメラを取り出して必死に撮影するところだが、当時の私は、景色は記憶に残すもの、飲食店で写真を撮るなんてもってのほか、と斜に構えていたからその時の写真は残っていない。実際、たかが十年ほど前までは飲食店で写真を撮る人はブログでもやっている変わった人、みたいな風潮が根強く、店主からもお客からも白い眼で見られたりしていたものだが、そんな人の残した当時の情報が今や貴重な資料となっている訳で、まさに誰しもがスマホで撮影する時代のさきがけだった。この時まぶたにしっかり焼き付けたはずの記憶も薄れつつある現在、写真を撮らなかったことは悔やんでも悔やみきれない。

新世界は、すでに当時から廃業したスナックやスタンドが目立つ暗くてさびしい小路だったが、その暗がりの中に、お目当ての炉ばた焼き店『あかり』の行灯がぼんやり光っていた。ガラガラ戸を開け店の中へと入ると、店内もまた薄暗い。お店の壁には自衛隊の写真が額に入れて飾ってある。帯広は陸自の駐屯地があるから、関係者もよく訪れるのだろう。薄暗い店内にお客は私だけで、目の前の焼き場であれこれ焼いてもらいながら、鳩のかたちの器に入った直火の燗酒をおかわりする。時間のかかるホッケが焼きあがるまで、おねいさんと他愛もない会話を交わしたりした。ホッケの脂の香りがただよい、さらにひっくり返してしばらく経ち、もう良い頃合いだ。皿を準備したおねいさん、火ばさみでホッケを皿にのせてできあがり、のはずが、なんとホッケが脂でツルリと滑って土間に落ちてしまった。

しばらくの沈黙が流れた後、おねいさんは深いため息をつき、そして二枚目のホッケを取りだして再び焼き始めた。それからというもの、おねいさんは一切口をきかなくなり、新しいホッケが改めて焼かれていくさまをただ無言で見つめていた。少ないお客の店で、ホッケ一枚分の値段で二枚焼くというのは、それは痛い損失に違いないだろうな、といたたまれない気持ちになった。私は「落ちたホッケでも大丈夫です。もう一度あぶってくれたら食べますよ」とでも言うべきだったのだろうか。

飲食店に救われてきた人生だから、好意をいだく飲食店では、できる限りお店の負担にならないようにふるまいたい。あちこち外で飲み食いをしてきた人なら、そんな客としての心情を分かってくれると思う。それでも落ちたホッケを食べますと申し出るのは、やはりおかしい気がする。京都の好きな喫茶店で、混雑してくると良かれと思って席を詰めようとする先客が多く、実際はそのタイミングで新たに客を入れても回らなくなるだけだから、店主がそんな先客の移動を制止するという、店主にとってはありがた迷惑な光景を幾度となく目にしてきたが、それに似たようなことなのかもしれない。おねいさんにはおねいさんの長年の商売の誇りがあり、きっと落としたホッケを客に食わせることは許せないことなのだ。

おねいさんと私と床に落ちたホッケ、それぞれの思いは交錯し、私も何事もなかったかのように二枚目のホッケを美味しく食べ、礼を言ってお店をあとにした。

いいお湯だったな〜

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