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【天才の秘訣】天才はなぜノートを取らないのか?

16歳で東京大学に合格したソーシャルメディアネーム「カリス」(Kallis)こと韓昌熙さんが、とあるTV番組のインタビューで「ノートは取らない」と暴露していました。実はこれ極一部のコミュニティでは当然の暗黙知であり、日本の天才コミュニティが秘密にしてきたことです。

私は天才ではありませんが、こと受験勉強に限れば、受験生時代は全国模試で常に全国トップで「半世紀に一人の天才」と言われていました。そんな私も授業でノートを取ったことはありません。もちろん、研究ノートやアウトプットとしてのこの「note」などとは別の話です。

本稿では「夏の自由研究」として「天才はなぜ授業でノートを取らないのか?」を提起することにします。

ノートを取らないとはどういうことか?

「授業でノートを取らない」という日本の天才コミュニティが直隠してきたことをいとも簡単にTV番組でばらしてしまうとは、さすが外国育ちで「空気は読まない」と公言しているカリスです。

カリス曰く東大に合格することは「コンビニにお茶を買いに行く程度」の難易度ですから、『東大合格生のノートはかならず美しい』(文藝春秋)など不当周延の虚偽を利用した「官僚養成専門学校」である東大生のノート礼讃は実に滑稽なものでした。『東大生のノートは本当にキレイ? いや、そもそもノートを取ってない』という記事が出たことに安堵したものです。

カリスや林修さんが言う通り、東大生の「真ん中から下は、スッカスカのカッスカス」あるいは単純に「パレートの法則」を適用して8割が残念な頭脳の持ち主だとして、東大生を一括りにして考察すべき問題ではないからです。

ここで問うべきは、カリスのような天才たちはなぜ授業でノートを取らないのかということです。知りたいのは、因果関係なのか、ただの相関関係なのか、という問題です。

インプットにノートは必要か?

カリスのような天才の脳内を覗くことは私にはできませんし、「ABC予想」を証明した京都大学・望月新一教授の『Inter-universal Teichmüller Theory(宇宙際タイヒミュラー理論)』(DOI: 10.4171/PRIMS/57-1-1~4)を理解できない凡庸な頭脳の身です。それでも、高々受験業界で「半世紀に一人の天才」と言われた経験を一縷の拠り所として考察するならば、純粋なインプットにノート取り作業は必要ないと感じます。それこそ教科書や参考書にメモするだけで十分です。

カリスが「ノートをまとめている暇があったら、参考書にその内容が書いてあるのだから何度も読んだらいい」と指摘している通り、授業中にノートを取ることは「無駄な作業」です。「無駄な作業」を行うことで得られる幻覚は勉強した気になれるということです。日本は学校でも会社でも「無駄な作業」が大好きです。多くの日本企業では「会議」や「PDCAサイクル」といった思考停止したまま仕事した気になれる「無駄な作業」が好まれる傾向にあります。ですが、実際に得られる効能と効果、つまり成果は皆無に等しいということです。

授業中の思考実験

では授業中、ノートを取るという無駄な作業ではなく何をやっていたかと振り返ると「それは何か?」「それはどういうことか?」「それは何を意味する(あるいは意味される)のか?」などを掘り下げ、モデル化したり、シミュレーションしたり、余裕があれば記憶や理解を定着させるために「もうひとりの自分へのプレゼン」を脳内で行なっていたと思います。

記憶や理解を定着させるための方法

余裕があれば記憶や理解を定着させるために「もうひとりの自分へのプレゼン」を脳内で行なっていたと思います。

はい、出ました!ここ重要です!モデル化やシミュレーションなどの思考実験で大体は記憶や理解を定着できますが、確実に定着させる方法があります。それが他者への解説を自分の中で組み立ててみること、つまりアウトプットの演習です。ここではじめてノートが登場します。ノートはアウトプットのための資料、いわばプレゼン資料なのです。

このプレゼン資料という要素に主眼が置かれ、「見える化(可視化)」ではなく完全に他者へ見せる用(見せる化)になったものが所謂「シケプリ」です。ですので、当然シケプリは他人が見やすいよう美しくレイアウトされた資料(ノート)となっています。

ノートは仮想アウトプットのための資料

しかし、ノートを作成する本来の目的は、思考実験で記憶や理解を定着させるためであり、他者への解説を自分の中で組み立てることによって「仮想化しきれない残余」をあぶり出すためです。従って、美しい必要性はありませんし、ノートは思考実験で記憶や理解を定着させるための方法のひとつに過ぎませんので、授業中ではなくむしろ自習で作成するものなのです。

天才が授業でノートを取らない理由

結論、ノートはインプットの次の段階、思考実験で記憶や理解を定着させるための勉強方法のひとつであるため、授業中に取るものではなく研究や自習で作成するものです。従って、天才は授業中にノートを取るという無駄な作業は行いません。

夏の自由研究

以上が仮説であり、「夏の自由研究」へのひとつの課題提案です。多くの生徒や学生のためにも実証されることを期待しています。

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