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モーツァルト 歌劇「魔笛」 ~ああ、夜の女王よ

「モーツァルトのオペラの最高傑作はどれ?」という問いは無駄である。答えは人それぞれにあり、定説は存在しない。

「フィガロの結婚」だろ、という人もいれば、「ドン・ジョヴァンニ」という人もいる。いや、断然「後宮からの逃走」でしょ。絶対に「魔笛」の意見もあるだろう。最高傑作という栄誉あるレッテルは所詮個人的なものに過ぎないので、誰も決めつけることはできない。
ちなみに、今の私の一番のお気に入りは「ドン・ジョヴァンニ」です。数年後はさて?

そこで今回とりあげるのは「魔笛」である。

ベートーヴェンがモーツァルト最高傑作オペラと崇めた「魔笛」

誰もが認めるモーツァルトの傑作オペラ。ベートーヴェンは「魔笛」こそがモーツァルトの歌劇の中で最高傑作と断言している。他のオペラは、音楽は素晴らしいがストーリーが気にいらないらしい。理由は、「堕落した物語だから」というわけだ。

ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」のストーリーを知ると納得できるだろう。ベートーヴェンは、こと男と女の関係に関しては「堅物」で、浮気心やスケベ心などは許せず、そのような人類古今東西普遍的テーマ(笑)を毛嫌いしていた。常に男と女の関係は美しく清らかでなくてはならない、そして、人間は誰もが崇高な精神であるべきだ、と考えていた。(本人がそいういう人間だったか否かはこの際別問題として。)

だから、女中の尻を追いかけ、あわよくば悦楽の時間を得たいオヤジ(「フィガロの結婚」の男爵。だが彼は実は恐妻家である)や、女を口説くことに命をかけた結果、天罰がくだり幽霊に地獄へ落とされるジゴロ(「ドン・ジョヴァンニ」)の物語など許せなかった。その点「魔笛」は、愛のお話は少し出てくるけど、ストーリー全体に俗人を超越した崇高な精神の匂いが漂う。ベートーヴェンの信念にピタリのオペラだったというわけだ。

設定がいまいち理解できないおとぎ話

「魔笛」はおとぎ話だ。魔法使いは出てくるし、怪物の化身もいる。そもそも時代背景設定がいまひとつわからん。主人公タミーノという若者は日本の王子だそうな(笑)。18世紀末に、欧米人が日本という地域の文化を知っている人は相当少ないはず。情報も少ないし、そもそも日本の王子がどうやって欧州まで行けたか謎だ。

それに、日本の王子様ならば馬鹿殿……じゃなくて、若殿になるので、ちょんまげ結った和服姿の青年であるべき。シカネーダーもモーツァルトも日本人のことを詳しく知らなかったので、ちょっとだけ異国情緒をちりばめた設定、演出になったのだろう。

現代風に彼にインタビューで問えば?
シカネーダ—いわく
 「よく知らねーんだから、コレしかねーだーろう」
と答えたかも。


タミーノ対ザストロ。しかし…

物語では、タミーノという王子が、夜の女王の娘パミーナを救うため、パパゲーノを従えて宿敵ザラストロの元へ向かう。

しかし、ザラストロは賢者であり(夜の女王と夫婦だったらしい)、パミーナを夜の女王から引き裂いた理由は、夜の女王の元にいればパミーナも堕落した人間になると恐れたからだった。

タミーノはザラストロの意図に理解を示す。人望厚いザラストロは娘(パミーナ)を戻すことに同意する。ただ、条件として、いくつかの試練をタミーノに与える。クリアできたら、パミーナを解放しよう、と。なんか、ゲームの設定に似ていると思ったのだが、私だけ?

見事に試練を乗り越えたタミーノはパミーナと結ばれ、お伴のパパゲーノもパパゲーナという恋人と結ばれる(「ノ」だの「ナ」だのしか違わない名前がややこしくて日本人には紛らわしいですね)。きわめて支離滅裂な物語。けれど、オペラを観ている時にはそんなことは微塵にも感じないのが不思議だ。

宗教曲、オペラ、コミカルな台詞

モーツァルトと関係の深いフリーメーソンの精神がオペラ全体に漂っているので、どこか教訓的である。ザラストロなど賢者たちの音楽は宗教曲のようであり、タミーノの歌はイタリアオペラチックでドラマチックだ。いっぽうパパゲーノの歌はとてもコミカルで台詞も喜劇的。さすが最高傑作と呼ばれるだけあり、いろいろな色彩で楽しませてくれるオペラである。

それにしてもこの王子、いかにも勇敢そうなのだが、第一幕で「僕のパパはいくつもの国を所有しているのよ~」(あ、CDジャケットの和訳はもっと上品な文体です)ってな発言があり、お坊っちゃまタイプであるのがわかる(笑)。父は王様だが、自分は王子の器ではない、と謙遜したのかもしれん、知らんけど。

重要な役割を果たすのが夜の女王である

夜の女王。
コロラトゥーラ・ソプラノ
の技能をいかんなく発揮しなければならない超目玉役だ。オペラ「魔笛」の成功の鍵を握るのが夜の女王といっても間違いではないだろう。ドイツ語でdie Königin der Nacht。そのまま和訳すれば確かに「夜の女王」になる。

ただ、大きな声じゃ言えないが、この訳だと、
昼間霞ヶ関でOLとして勤務するK子さんが、夜は六本木の怪しいクラブに務め……、人は彼女のことを「夜の女王」と呼ぶ、てな感じのストーリーを想像をしてしまうのは、ジジイの悲しい性か…。

夜の女王のアリアは、深く哀しい

女王は魔女。魔術を使い人々をねじ伏せている。このオペラでは悪役である。けれど、自分の娘を奪われた時には無力であったと嘆き悲しむ人間的な一面もある。勧善懲悪的な悪役ではない

第一幕で女王が登場する場面。ものすごい音と共に、山がふたつに割れて登場する。大魔神もおったまげるだろう。その後素晴らしいアリアを歌う。これが、実に涙を誘う。魔女とはいえそこはやはり母親。娘を助けられなかった思いを涙ながら歌われれば誰もが、「ううっ」と、同情するにちがいない。

だからタミーノ君はあっさりと夜の女王を信じ、娘を救うため出発する。オペラ冒頭で、大蛇にやられそうになり気絶したんだから(夜の女王の召使い3人に助けられた)、さほど強い男でもないだろうに、無謀な誓いをたてたもんだ。娘パミーナが美女であり(設定では肖像画を見ただけだったと思う。肖像画の画家グッジョブ! 一目惚れか?)、娘を助ければ彼女を授けると夜の女王にいわれたから、最終目的はパミーナ奪取なんだろう。恋の力はオソロシイ。

女王もしたたかである。涙を誘うだけでなく、アリアの後半で、この若い男に勇気を与える(というより、けしかける)。そして歌のクライマックスであの超技巧メロディが登場するのである。
コロラトゥーラ・ソプラノのまさに技巧の見せ所。
(このメロデイについては「デ・ジャ・ビュ(既視感」に書きました)

前半のウルトラ情緒的な歌声にチラリチラリと聞かせる高音域の声の絶妙な美しさ、そして後半命令部分の力強い歌声のコントラストの素晴らしさ。最後の声の魔術は圧巻!すごい!のただ一言。歌が終わると山は再びひとつになる。自然をあやつるとは夜の女王、恐るべし!
---->アリア第4曲「若者よ恐れるな」

第二幕の夜の女王は別人

第二幕で再び出てくる夜の女王は、第一幕の現実離れした設定に比べ、感情的でますます人間的である。鋭い剣を差し出し、宿敵ザラストロを殺すよう、娘に命令する。ああ…、恐ろしい。自分の手を汚さずに可愛い娘に殺人をせよと脅す。殺さなければ、お前は自分の娘ではなくなる!と言うんだ。なんて卑劣な奴、と見てる側は怒り狂うだろう。

このぶっちぎれた感情をうたいあげるアリアである。前半は特にオソロシイ雰囲気だ。しかもメロディは美しさと優しさをも備えているんだから、たまらない。かえって妙な気分になる。そして後半の超技巧。第一幕のと比べなおいっそう艶やかで楽しめるだろう(復讐で艶やかな音楽ってのもなかなかおつなもんだ)。
---->アリア第14曲「復讐の心は地獄のように胸に燃え」


結末は?そして夜の女王の運命はいかに

たった2曲のアリアだけれど存在感たっぷりの夜の女王。最後はザラストロたちの手で地獄へ落ちる結末となり、勝利者はタミーノとパミーナ、その他賢者になるんだが…、

善悪はさておき、私の一押しは、極上のアリアの醍醐味、天と地ほども違うキャラへの変貌で、だんぜん夜の女王である「夜の女王命」と宣言しても良い。

ただ、実は本音をいうとナタリー・デセイという歌手を知り、彼女が役をつとめるから、夜の女王びいきになったこともある。動機が不純か?

ということで、「魔笛」の主役たちをさしおき、夜の女王に視点をおいた独断と偏見のコメントでした。オペラ「魔笛」については回を改めて語りますね。

1、2曲目が第二幕、そして13曲目が第一幕のアリアです。歌:ナタリー・デセイ


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