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最終週「エール」#オリンピックマーチ

数多くの名曲を生み出した古関裕而。
その音楽史は、激動の昭和をそのまま言い表しています。
戦争が終わってから20年目、敗戦国からの復興の象徴も意味する1964年東京オリンピックの開会式で演奏された「オリンピックマーチ」もまた、古関裕而の代表作として外せない作品です。

日本的なマーチというリクエストで、オリンピック開会式の行進曲をNHKから依頼されたのはオリンピック前年の1963年2月。
著作権はNHKと組織委員会に渡る、印税が一切入らない契約ではありましたが、それとは関係なく本人にとっては最も喜ばしい依頼であったようです。本来めざしていたクラシックの格調が表現可能であるとともに、軍歌とは全く違う、世界的な平和の祭典に向けて作られるという部分が大きかったようですね。

NHK連続テレビ小説「エール」主人公、小山田耕三の本で作曲法を学び、家のレコードでクラシック曲の数々を聴き、イギリス国際作曲コンクールで2位に入賞したことも思い出されます。「日本的な」というリクエストには、「君が代」の旋律で結ばれるコーダが象徴しています。

 「世界中から集まったスポーツに取り組む若者」。表現された旋律は大変躍動的で、希望に満ちた内容です。国立競技場のトラックを進行方向に向かって行進していく、演奏だけでもそういった絵が思い浮かぶ、古関裕而の音楽人生の音楽芸術の集大成とも楽曲に仕上がったのだと思います。

まさに、選手に送る最高の「エール」だったのではないでしょうか。

1963年6月には古賀政男作曲の「東京五輪音頭」が発表、この曲に限って録音権を各レコード会社に開放し、多くの歌手によって歌われ大ヒットしていました。
古賀政男と古関裕而は同時期に日本コロムビアに入社し、互いに励まし合う仲だったそうですが、戦争を挟み、共に様々な苦難を乗り越えた二人の音楽的個性はオリンピックの舞台で象徴的に表出したといえます。

 1964年10月1日、開会式。「オリンピック序曲」(作曲:團伊玖磨)が流れる国旗掲揚、「オリンピック・カンパノロジー」(作曲:黛敏郎)バックに天皇皇后両陛下入場、日本国歌「君が代」演奏が終わり、14時ちょうどにオリンピック・マーチの演奏開始。
それが、入場行進始まりの合図となります。

国立競技場の観客、テレビを通して全世界に注目される映像と音楽。VIP席で8ミリカメラを回しながらその様子を見た古関本人は、その光景に感動して目から涙を流していたとか。
一旦その楽曲が終わり、途中「旧友」などの演奏を経て、再びそれが演奏されるのは日本選手団入場の時。
おそらく当時の日本人にとって、忘れられない光景であったことでしょう。
(文:ミュージックソムリエ:柏井要一)

NHK連続テレビ小説「エール」                  
NHKオンデマンドで見逃し放送をご覧になることができます。

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