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西欧音楽史 補講1:西欧の他の芸術と西欧音楽

バロック音楽の講義の時に少し触れたけど、西欧音楽の時代区分に使われてる用語って、音楽以外の西欧の芸術の諸分野とは全く違ってるの。
しかも、西欧音楽は中心地が時代によってフランス→イタリア→ドイツって移り変わってる上に、国によって様式の変化に時差もあるわ。
西欧音楽史について講義するなら時代区分に使われてる用語の時期を定義して、更に国ごとの違いも解説しておかないと、時系列について深刻な誤解を招きかねないわけ。
だから、番外編みたいな形で、西欧音楽史の時代区分を説明させていただくわ。
この補講ではフランス、イタリア、ドイツにだけ触れてイギリスとかスペインとかアメリカみたいな他の国については触れる必要がなければ触れないけど、それはこの補講で扱う主題が「西欧音楽の時代区分に使われてる用語の意味」だからで、決して他の国を軽んじてるわけじゃないことは先に明言しておくわ。

まずは、西欧音楽史で使われる時代区分と用語。
時代によって時代区分と音楽理論がほぼイコールになってたり、ほとんど関係がなかったり、それもまちまち。

古代ギリシアの音楽
グレゴリオ聖歌
オルガヌム
アルス・アンティクア
アルス・ノーヴァ
アルス・スブティリオル
ルネサンス音楽
バロック音楽
ロココ音楽
古典派音楽
ロマン派音楽
後期ロマン派
印象主義音楽
新古典主義音楽
無調音楽
現代音楽
新ロマン主義音楽

この中で音楽以外の分野と西欧音楽で時代区分と様式、用語が大まかに一致するのはバロックくらい。
アルス・アンティクア、アルス・ノーヴァ、アルス・スブティリオルは「ゴシック音楽(Gothic era music)」って総称したらゴシック建築と時代が重なるから、これも差し障りはないでしょう。
問題はルネサンス音楽と、ロココ音楽以降。

それじゃ、ざっと違いに触れていきましょう。
ルネサンスは「暗黒の中世」を否定して古代ギリシア、古代ローマを模範にしようって理念。
もちろん「暗黒の中世」って歴史観が正しくないことは既に分かってるけど、ここで大切なのは事実じゃなくて当時の人々がどんな考えを持ってたか。
ルネサンス音楽の講義の時にも説明したけど、建築、絵画、文学、彫刻とか音楽以外の分野ではその通りの理念で作品が作られた。
建築ならサン・ピエトロ大聖堂、絵画ならシスティーナ礼拝堂の天地創造、文学なら神曲、彫刻ならダビデ像。
だけど、そういう音楽以外の分野と違ってルネサンス音楽には古代ギリシア、古代ローマを模範にしようって理念がなかったの。
理由はルネサンス音楽の講義の時に説明したけど、当時の作曲家はカトリックって大パトロンに依存してたから。
ルネサンス的な理念が生まれて形になったのは音楽ではバロック音楽でオペラが生まれた時で、ルネサンス音楽って言葉には単に「ルネサンスの時代のクラシック」って意味しかないのよ。
加えて、音楽以外の分野では代表的な作品のほとんどがイタリア人の方がイタリアで作ったものよね。
だけどルネサンス音楽は中期まではフランスが中心で、中心がイタリアに移ったのは後期のことなの。
だから初期を代表するデュファイさんと中期を代表するジョスカン・デ・プレさんはフランス人で、後期になってやっとイタリア人のパレストリーナさんが代表的な作曲家として登場するでしょ。
これくらい、ルネサンス音楽は音楽以外の分野のルネサンス様式とは異質なの。
ルネサンス音楽って言葉はルネサンスの理念で書かれた音楽のことを指してないのよ。

バロックについては、説明が要るほど大きな相違がないから省略。
「ロココ音楽」って言葉、時代区分は一般的なクラシックの本には書かれてないわよね。
だけど、音楽以外の分野だと特に建築じゃロココ様式の存在は無視できない。
クラシックの本に書かれてる年表を見て、クラシックにロココ音楽がないのはどうして?って疑問を抱かれたことがある方は多いんじゃないかしら。
正確には、クラシックにもロココ音楽って呼ばれるものはあるの。
具体的にはバロック末期と古典派初期の過渡期のフランスにあったクラシックの様式のこと。
ロココ音楽って言葉が一般的じゃない理由は2つあって、まずはバロック後期から古典派初期の時期には西欧音楽の中心地がイタリアからドイツに移りつつあって、フランスに目を向けられることが少ないこと。
次に、「バロック音楽はイタリアとドイツの様式を指すために作られた言葉で同時期のフランスのクラシックには適用できない、つまりフランスにバロック音楽は存在しなかった」って主張しておられる学者が一定数おられて、この立場の学者はフランスにバロック音楽があったことを認めないからロココ音楽の存在も認めないこと。
フランスのバロック音楽を否定する立場からは、ロココ音楽に当たる様式を「ヴェルサイユ楽派」って呼ぶわ。
フランス革命が起きたのは1789年で、音楽以外の分野でロココ様式が否定されて新古典主義とかロマン主義に移行したのはこの頃。
バロック音楽→ロココ音楽→古典派音楽はお互いに重なり合いながら漸進的に変わっていったからはっきり区分するのは難しいけど、一般的には1770年には完全に古典派音楽に移行したと考えられてる。
ロココ音楽の始まりをいつに置くかはもっと難しいけど、一般的には1720年頃、最も早く考えると1700年頃。
いずれにせよ、音楽以外の分野でロココ様式が明確に否定される決定的な分岐点だったフランス革命の頃にはロココ音楽はもう終わってたの。
で、音楽だとロココ音楽に続くのは古典派音楽だけど、音楽以外の分野ではロココ様式に続くのは新古典主義とロマン主義。
「新」古典主義って言うからにはそれより前に古典主義が存在しなきゃいけないけど、絵画と建築だと古典主義はルネサンスと同一視されることが多くて、場合によっては初期バロックと同一視されることもあるわ。
古典派音楽と音楽以外の分野の新古典主義は時代が重なってて名前も似てるけど、理念も概念も全く違ってることに注意して頂戴。
音楽以外の分野の新古典主義は古代ギリシア、古代ローマの芸術を模範にしたけど、それと同じ理念を持ってたのは音楽ではバロック音楽で古典派音楽じゃないし、音楽では新古典主義音楽は後期ロマン派を否定する形で現れて、バロック音楽と古典派音楽を模範にしたから。
だから音楽と音楽以外の分野では「ロココ」の時期が重なってない上に、ロココの後に続いた様式の時系列すら違ってるのよ。

古典派音楽の「古典派」って言葉が音楽以外の分野と使われた時代も言葉の定義もかけ離れてるのは今説明した通り。
「ロココ→古典」って移り変わるのは音楽だけで、音楽以外の分野ではロココの後に新古典主義は来るけど古典主義は来ないの。

ロマン派音楽は、始まった時期と理念は音楽以外の分野のロマン主義と似通ってるから、少なくとも中期までは音楽以外の分野と同じ潮流って理解してくださって構わないわ。
1800年頃に、ロマンス小説(近代以前にラテン語じゃなくてロマンス諸語で書かれた世俗的な小説って意味)を模範に人間性の解放を目指して始まった運動。
ただ、音楽以外の分野じゃロマン主義は半世紀くらいで終わったのに対して、ロマン派音楽は第一次世界大戦前まで更に半世紀以上も西欧音楽の主流であり続けた。
だからクラシックには写実主義音楽みたいな概念が存在しないし、これ以降は音楽と音楽以外の分野で潮流と時代区分と用語が全く一致しなくなったの。
特に乖離が深刻で、詳しくご存知ない方が時系列と文脈を誤解なさっちゃう可能性が高い用語が新古典主義音楽と新ロマン主義音楽。

新古典主義音楽はクラシックじゃロマン派の特徴の大規模な編成、複雑な和声、長い演奏時間とかを否定して、それ以前のスタイルに戻ろうって感じの第一次世界大戦後のヨーロッパで唱えられた主張かつ、それに基づいた音楽性のこと。
第一次世界大戦で凄まじい消耗戦の舞台になって荒廃してしまったから、当時のヨーロッパには後期ロマン派の流れを進めて更に規模を拡大していける力が残ってなかったの。
具体的には、マーラーさんの後期の大規模な合唱入り交響曲が当時のヨーロッパでやれた極限って感じ。
これ以上大規模にできないなら、じゃあどうしましょうって話になって、フランスが提示した答えが新古典主義。
新古典主義音楽はナディア・ブーランジェさんが代表格のストラヴィンスキーさん派(バロック復古派)と、フランス6人組が代表格のサティさん派(古典派復古派)に大別できるわ。
両方ともフランスを中心にヨーロッパで生まれて、当時のアメリカの音楽界と深く関わってた共通点があるけど、具体的なアメリカとの関わり方は全く違ってたの。
ナディア・ブーランジェさんは、クラシック史上有数の音楽教育家としてとても評価が高い方。
女性で史上初めてローマ大賞を受賞した妹のリリ・ブーランジェさんの天才ぶりを間近で見て、作曲家の道を諦められたそうだけど、高名な作曲家を多く育て上げた音楽教育家としてとても高い名声を得られた。
ナディアさんはフランス人で、当然フランス人の教え子が多くおられたけど、ナディアさんの教え子で名声を得たフランス人はほとんどおられなくて作曲家として成功された教え子にはアメリカ人が多いの。
これは、後述するけど、第二次世界大戦後のヨーロッパとアメリカの現代音楽の方向性の違いが原因なんじゃないかしら。
彼女はとても熱心なストラヴィンスキーさん派の新古典主義者で、彼女が送り出した作曲家の皆さんは第二次世界大戦後のアメリカの現代音楽で活躍されたわ。
対して、フランス6人組はアメリカはアメリカでも、クラシックよりジャズや映画音楽と積極的に交流を持ったの。
例えばチャップリンさんはメロディメイカーとしても非常に優秀でいらしたけど、彼が自分の映画の劇伴の作曲を最初に依頼したのはフランス6人組の紅一点、ジェルメーヌ・タイユフェールさん。
フランス6人組がクラシックよりポピュラーと交流を持ったのは、多分だけど当時のアメリカの音楽の流行が理由ね。
第一次世界大戦前のアメリカじゃ、フランス人女性作曲家で作風は後期ロマン派のセシル・シャミナードさんが絶大な人気を誇ってたの。
その人気たるや、「作曲だけで生計を立てた史上初めての女性」って謳われてたくらい。
だけど第一次世界大戦後のアメリカではジャズ、特にビッグバンドで演奏するスウィング・ジャズが大流行して、シャミナードさんはそれまでの人気を失ってしまった。
新古典主義音楽が登場した頃のアメリカでは流行がクラシックからジャズに移り変わってたから、フランス6人組はジャズと交流したんでしょう。
フランス6人組は映画音楽を積極的に担当した他に、曲の中にジャズの語法を積極的に取り入れたのも特徴。
ジャズって言っても、スウィング・ジャズは特徴的なスウィングのリズム以外はわりとクラシックに近くて、皆さんがイメージするような少人数でトランペットとかサックスを代わる代わるソロ演奏する音楽性じゃないから、クラシックの枠組みで書かれてる曲の中にジャズ要素が入ってても異物感はないわ。
私はこうやって西欧音楽史を講義する学術たんとしてはどの潮流、どの理念、どの理論にも肩入れせずに中立を保つようにしてるけど、作曲家としてクラシック曲を書く時の私は古典派復古派の新古典主義者。
クラシックとポピュラーの間にいつの間にか生まれた敷居を破壊して、クラシックをポップスと同じくらい日常的で、気軽に聴かれる音楽に戻したいから。

ちなみに、ナディアさんは第二次世界大戦後も立場を変えなかった、音楽教育家としてあまりに有能すぎた上に作曲家としては筆を折ってたから立場を変えなくても許された強硬な新古典主義者の代表格だけど、妹のリリ・ブーランジェさんの作風は印象主義音楽って考えられることが多くて、少なくとも新古典主義音楽とは作風が似ても似つかないわ。

つまり西欧音楽史じゃ、新古典主義は第一次世界大戦後から第二次世界大戦の時期の潮流を指すの。
一方で、絵画、建築、彫刻では、ロココ様式に対する反発として生まれた様式を新古典主義って呼ぶ。
音楽以外の分野の新古典主義が隆盛したのはフランス革命の頃で、簡単に言うとロココ様式をブルボン朝のもの、貴族的なものとして否定したのが新古典主義。
フランス革命が起きたのは1789年、第一次世界大戦が終わったのは1918年だから、同じフランスでも音楽とそれ以外の分野では「新古典主義」が指す時代が100年以上もズレてるのよ。
しかも音楽じゃ新古典主義は後期ロマン派に対する反動として現れたけど、音楽以外の分野ではロマン主義が新古典主義に対する反発として現れてて、時系列と文脈まで真逆なの。
これは、「新古典主義」って概念は模範になる「古典」があって初めて成立する概念だけど、音楽と音楽以外の分野では「古典」として模範にしてるものが違うから。
さっき説明したみたいに、音楽の新古典主義が模範にしたのはバロック音楽か古典派音楽、つまりロマン派より前の音楽。
それに対して、音楽以外の分野の新古典主義が模範にしたのは、古代ギリシア、古代ローマの様式。
新古典主義の前提になる「古典」が違うものを指してるから、音楽と音楽以外の分野では新古典主義って言葉の使い方が紛らわしいことになってるの。

次、「新ロマン主義」。
こっちは新古典主義よりもっと時代と文脈の乖離が激しいわ。
音楽では、新ロマン主義は1970年代以降の現代音楽の潮流の一つを指す言葉。
さっき説明したみたいに、第一次世界大戦後のヨーロッパではロマン派の流れを続けることが難しくなってたけど、それに対してドイツは無調って答えを出した。
フランスとドイツで違う答えが出た理由は、リズム重視のフランスとハーモニー重視のドイツってバロック期以来皆さんの時代にまで残ってるお国柄の違いが現れたことと、後期ロマン派が両国で違う終わり方をしたことに由来する前後の文脈。
世の中に流通してるクラシックの本では、俗に「ワーグナーさんのトリスタン和音をきっかけに極端に肥大化した機能和声が限界を迎えて調性が崩壊した」みたいなことが書かれてると思うわ。
だけど、この説明は間違いじゃないけど2つの点で不完全なの。
1つは、第一次世界大戦後にハーモニー重視の国ドイツで起きたことを説明するにはこれでいいけど、フランスには当てはめられないこと。
次に、後期ロマン派の機能和声は確かに肥大はしてたけど、少なくとも第二次世界大戦後でさえ完全には限界を迎えてなくて、無調の前提にある「調性音楽は限界を迎えた」って認識が間違ってたこと。
「調性は限界まで肥大し尽くした」んじゃなくて「2度の世界大戦で荒廃しきった当時のドイツの国力でやれたことの限界に至った」なの。
証拠としてはジャズをご覧になってくださればいいわ。
ジャズでも1960年代に同じようなことが起きて調性を放棄したモード・ジャズとフリー・ジャズが盛んになったけど、それってその直前の1950年代のハード・バップまでは調性が追求され続けてたってことでしょ。
皆さんも一度試してくださればお分かりになると思うけど、調性って観点からはハード・バップは狂気なの。
私が数年前にハード・バップの頃の理論でジャズを書いた時は、自分が今何をしてるのか、作曲とアレンジがどこまで進んでるかを把握するために1万文字以上の膨大なメモを取ってたわ。
とても、私の頭の中だけで曲の全体を把握するのは、自分が現在進行形で書いてる曲なのに不可能だったの。
あそこまで複雑化したハード・バップってものを知ってたら、クラシックの無調は時期尚早すぎた、もしくは国土が戦場にならなかったアメリカでは見られたものを当時のドイツで見られなかったとしか思えないのよ。

……あら、また話が脱線したわ。
これは新古典主義音楽の文脈にも関係するけど、ドイツと違ってフランスでは調性は崩壊しなかったの。
理由は、ドイツじゃ後期ロマン派の末期に当たる時期にドビュッシーさんが印象主義音楽を始めたフランスでは、そもそもドイツほど調性が追求されてなかったから。
「肥大化した調性」は具体的には半音階と大きな跳躍進行の極端な多用を指すけど、印象主義音楽は意図的に調性を曖昧にするために機能がない4度堆積の和音を多用したり、順次進行を重視して理由がなければメロディの6度以上の跳躍進行を避けたの。
肥大化しなかったから崩壊もしなかったって、とてもシンプルな理由でしょ?
そういう文脈があって、フランスは第一次世界大戦って現実に直面した時に新古典主義って答えを出したのよ。
そういう意味だと、ガーシュウィンさんが開拓したジャズで更に調性でやれることを追求し続けたのがアメリカの答えだったと言えるかもしれないわね。
だけど、ワーグナーさんが切り開いた道を進んで機能和声を複雑化させてたドイツでは調性が崩壊したわ。
もっと違う言い方をしたら、調性が崩壊していくきっかけを作ったワーグナーさんがハーモニー重視の国ドイツで生まれてドイツで活動してたのは偶然じゃなくて必然なの。
それでシェーンベルクさんが十二音技法を開発したけど、ナチスが政権を取ったから彼はアメリカに亡命した。
結局ドイツは第二次世界大戦に負けてナチスも崩壊したけど、その結果、ファシズムの代わりに社会主義って別の全体主義がヨーロッパに蔓延した。
第二次世界大戦後にクラシックの世界で調性が否定されて無調至上主義の現代音楽が始まったのは、ドイツの2度の敗戦と社会主義の蔓延って当時の2つの社会情勢に起因してるの。
ナチスは前衛的な芸術を頽廃芸術として迫害したから、その反動で戦後にナチスが否定されると音楽でも同じように調性を否定する力学が働いて、社会主義の影響がそこに乗っかった。
社会主義って実際にはただの全体主義だし、カトリックでも第二バチカン公会議で「教会は社会主義を受け入れない」って正式に宣言されてるけど、口先では平等なんて実態とは真逆のことを嘯いてるでしょ。
乱暴に言うと、音楽で社会主義をやったのがヨーロッパの現代音楽なの。
先に言っておくけど、私は無調そのものは否定しないし、十二音技法は一人の作曲家が構築したとは思えないくらい緻密で偉大な作曲理論だと思ってるわ。
十二音技法の欠点といえばシェーンベルクさんが十二音技法で書かれた曲の終止形を生み出せなかったことくらいだと思うし、あれだけの規模の理論を一人で編み出したことを考えたら、終止形を生み出せなかったのは仕方ないんじゃないかしら。
でも、十二音技法で止まっておけばよかったのにヨーロッパの現代音楽は更に突き進んでトータル・セリエリズムみたいに誰が書いても同じような曲になる音楽理論を構築していった。
私のセリィって名乗りは、フランス語のCélestineの愛称形のCélieとドイツ語のセリエル(音列)のSerieのダブルミーニングなんだけど、それはさておき。
これは現代音楽に詳しくない方の大半が誤解されてると思うけど、ヨーロッパ系の現代音楽の文脈だと誰が書いても同じような曲になるのって「迷走の果ての失敗」じゃないのよ。
「音楽の社会主義」を掲げて、意図的に誰が書いても同じような曲になるような理論がヨーロッパでは構築されたの。
意図的にそれを目指してそうなったんだから、あれは「計算通りの成功」なの。
だけど、それはドイツの敗戦と社会主義の蔓延って2つの文脈があったヨーロッパの話で、そういう背景を持ってないアメリカではヨーロッパとは違う方向に無調が追求された。
例えばジョン・ケージさんの4分33秒は有名だけど、ケージさんはシェーンベルクさんの教え子。
調性っていう既存の秩序を否定した上で社会主義的な新しい秩序を構築しようとしたヨーロッパの現代音楽の方向性は前衛(アヴァンギャルド)だったけど、アメリカの現代音楽は秩序よりも再現性がない偶然の結果を重視する実験(エクスペリメンタル)の要素が強かったって違いがあった。

さて、ここまでが新ロマン主義音楽について説明するために必要な前提。
ヨーロッパの前衛とアメリカの実験が邂逅したことで、ヨーロッパの無調至上主義には限界があることが明らかになった。
思い出していただきたいのだけど、シェーンベルクさんは戦前にアメリカに亡命なさったでしょ。
ケージさんはシェーンベルクさんの教え子だけど、シェーンベルクさんがアメリカに亡命したからケージさんみたいな教え子が世に出たの。
彼はナチスが崩壊した後もアメリカに留まってたから、「音楽の社会主義」を合言葉に十二音技法よりも更に突き進んだヨーロッパの現代音楽の流れには加わってないのよ。
そもそもシェーンベルクさんは調性にも旋法性にも基づかずに曲を書くための秩序的な音楽理論として十二音技法を開発した感じで、調性を否定する目的の理論じゃないし、和声としての機能は持たないけど十二音技法の規則を守りながら協和音を奏でることだって普通に可能なのよ。
無調の曲を書くセンスは私よりマネージャーさんの方が上だから、そういう実例は彼女の方が上手く書いてくださるでしょうね。
この「無調至上主義の限界」は、メロディの問題。
十二音技法で可能なメロディの絶対数は12!=479,001,600。
セット理論とかトーン・クロック理論とか現代音楽の作曲理論には十二音技法以外にもいろいろあるけど、協和音の音色が曲の中で聴こえることすら絶対に認めないヨーロッパの現代音楽じゃこれより多くなることはない。
理由は、そういう理論は十二音技法より制約が多いから。
「無調じゃないメロディ」の絶対数は多すぎて全てを計算するのは私の数学の能力じゃ不可能だから極端に単純化して計算するけど、1小節に最大16個の音が入るとして、16個の音符にその調の7個の構成音のどれが入ってもいいから、(7Π1)+(7Π2)+(7Π3)…(7Π16)=38,771,752,331,200。
「一つの調性だけで書かれてて途中で転調したり副五和音を使ったりしてないダイアトニックなメロディ」に限定してもこれだけあるから、それと比べたらヨーロッパの現代音楽の方向性で可能な表現はこんなに狭いの。
だから、ヨーロッパの現代音楽は無調を調性よりもずっと早くやり尽くしてしまった。
これが1960年代末に起きた「前衛の停滞」。
それまでは調性を全否定してきたけど、無調が行き詰まって調性を全否定したままじゃ何もやれなくなったから、社会主義国家が国民を抑圧したのと同じで無調至上主義が作曲家を抑圧するものってことが明るみに出たの。
そしてそこから逃れようとして、調性のあるクラシックを書く作曲家が主にアメリカとイギリスから1970年代に再び現れ始めた。
こういう作曲家の作品、こういう作品を書く作曲家を呼ぶ言葉が、新ロマン主義。
注意すべきなのは、第一次世界大戦後の新古典主義は明確な思想を持った芸術運動でもあったけど、新ロマン主義はそうじゃないこと。
ミニマリズムは例外として、一度は無調が完全に支配した現代音楽の世界で調性とはっきりしたメロディがある曲、そういう曲を書く作曲家のことを新ロマン主義って総称してるの。
そもそも第一次世界大戦後でさえ当時も現役だった後期ロマン派の作曲家にはネットワークを作ろうって動きがなくて、それも第二次世界大戦後に調性音楽が無調の流れに抵抗できずにクラシック業界がミニマリズムは例外として無調に完全に塗り替えられた理由の一つなの。
ロマン主義的な作風で曲を書く方って、積極的に交流を持ちたがらない傾向があるのかしら。
新ロマン主義と呼ばれる作曲家はアメリカかイギリス出身の方が大半だけど、それはさっき説明したみたいに、アメリカの現代音楽はヨーロッパの現代音楽とは違う道を辿ったから。
アメリカの作曲家にはヨーロッパの作曲家みたいな激しい調性への忌避感がないし、調性を全否定する背景を持ってないから、新ロマン主義の作曲家はアメリカから多く登場したの。
無調じゃなきゃ音楽にあらず、でまだ新ロマン主義をやれなかった時代の現代音楽の世界で例外的に調性があるのが許されてたのがミニマリズム(ただ、ミニマリズムは無調の音楽より格下扱いはされてたわ)だけど、ミニマリズムが考案されたのがヨーロッパじゃなくてアメリカだったのもそういう背景が関係してるでしょうね。
この理由を説明するために、先に現代音楽の流れを雑にだけど長々と説明しなきゃいけなかったのよ。
もちろんこの説明は表面しかなぞってなくて雑すぎだから、現代音楽についてのちゃんとした説明は本講が現代音楽まで進んだ時にきちんとやるわ。

一方で、音楽以外の分野の新ロマン主義は、芸術至上主義と反自然主義を掲げてプロイセン主導で統一された時期のドイツに現れた主に文学の思想のこと。
これも文学と音楽で時代背景と文脈が全く違ってるし、指す時代も地域もかけ離れてるのよ。
文学では1870年頃のドイツの潮流を指す言葉が、音楽では1970年以降のアメリカの潮流を指すの。

どうして私がこの補講をしようと思ったのか、ご理解いただけたかしら。
絵画とか建築とか、音楽以外の西欧美術に以前から触れておられて造詣が深い方であればあるほど、時代区分について解説しておかないと用語の定義の違いに混乱して西欧音楽史の時系列の理解がぐちゃぐちゃになってしまいかねないのよ。
バロック音楽までと古典派音楽以降だと講義の形態を変えなきゃいけないから試行錯誤してるけど、現代音楽をやってからジャズに移ってフリー・ジャズとモード・ジャズに到達するまでは西欧音楽史の講義を続けていくわ。
なるべく早く講義内容を仕上げるから、次回の講義でお会いしましょ。

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