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冬野ユミさんの劇伴で、『光る君へ』まひろと『スカーレット』喜美子の姿を重ねて

本記事では、取材・執筆を手掛けたコンテンツについて触れていますが、取材時の裏話やカットしたトピックについて書いた記事ではありません。いちドラマウォッチャーとして、ドラマや音楽の感想を書いた記事です。

NHK連続テレビ小説のなかで最も好きな作品の一つに、『スカーレット』(2019〜20年放送、戸田恵梨香主演)があります。

好きな理由はいくつかあるのですが、溢れ出す欲求に抗えない性(さが)を持ってしまった主人公を描いてくれたことが、その一つです。

主人公の川原貴美子は、後に陶芸家になる女性。憎めないもののやりたい放題な父の元に育ち、家族に縛られまぁまぁ抑圧的な状況の中で長女の鑑のように育った女性が、夫となる男性・八郎(松下洸平)から陶芸を教わり、芸術家としての道に目覚めます。

最初は彼女より先に芸術家であった八郎を支える形で、大量生産しながら“稼ぐ”立場で陶芸に関わっていたものの、いろんなきっかけがあって貴美子が独自のセンスを発揮し、八郎の立場をも脅かす力を放ち始め……今思えば、このあたりからではないでしょうか、このドラマの魅力が本領発揮し始めたのは。

苦労を経てようやく愛する男性と結ばれ家庭を築き、2人で工房を構えて二人三脚で歩んでいたはずが、創作欲に抗えず一人作陶に夢中になり、それが原因で夫と別れ、離婚を経て新たな関係を築いた矢先に、愛する息子と死別するーーなかなかハードな展開だったものの、そこに穏やかさと一抹の切なさ、そして同時に煮えたぎる激しさを感じながら、アンビバレントな気持ちで胸いっぱいになってドラマを楽しめたのは、脚本や演出の良さはもちろんのこと、間違いなく冬野ユミさんのつくる劇伴があったからだと思います。

というのも、冬野ユミさんはいま大河ドラマ『光る君へ』の劇伴を手がけられていて、それについて冬野さんご自身にインタビューさせていただく機会があり、劇伴制作のポリシーについて印象的な言葉がありました。「状況につける音楽はつくりたくない」「音楽で物語を説明したくない」。

「走っているシーンの音楽を書くとして、私はわかりやすく緊迫感とスピードのある“チキチキチキチキ……”という音楽にはしません。登場人物が泣いているシーンに、悲しい音楽をつけるようなことも望みません。走っていることなんて映像でわかるし、泣いている登場人物は心のなかでは笑っているかもしれないじゃないですか」

cocotame「大河ドラマ『光る君へ』の作曲家・冬野ユミが劇伴制作において譲れないこと」より

「同じ音楽を聴いても“温かい音楽だな”と思う人もいれば、“これは悲しい音楽だ”と思う人もいる……なんてこともあるわけで、聴き手の状況や感情によっても大きく変わってきますよね。ひとつの場面から、いろんな感情を抱いたり、空気を感じ取ったりできる。インスピレーションをかき立てるような音楽をつくりたいと常々考えています」

cocotame「大河ドラマ『光る君へ』の作曲家・冬野ユミが劇伴制作において譲れないこと」より

『スカーレット』は、人間というのは一筋縄ではいかず、それでもって他面的であることがよくわかる筋書きや人物造形だったと思うのですが、その多面性をより感じさせてくれたのが冬野さんの音楽だったのだと改めて理解できる言葉でした。

貴美子は「良い子」で「しっかりしている」けれども、その頑固さゆえ陶芸に愛され呪われ、ほかの大切なものを引き離す強い効力にもなった。で、『光る君へ』のヒロイン・まひろも、きっと貴美子と同じタイプの人間なのではないかと思います。もちろん理性的な部分も大いにあるのですが、理性よりも奥深くに激しい欲求があり、力や才を発揮するけれども、それが時に強引になり得たり、愛する人(スカーレットの八郎や、光る君への三郎)を傷つけたり、自分から離れることを選んだりしてしまう。

得るものと失うもの、誰かを愛する喜びと哀しみ、諦めきれない感情と諦観の悟り。そんな人間的な生々しい矛盾に対して、その境目を淡くしてよりグラデーションにしていく音楽。だから私は冬野さんの音楽とともにドラマを観ていると、その矛盾の割り切れなさをより感じ取ってしまい、何気ないワンシーンでもどうしてか胸がキュッとなってしまうのです。

ここまで書いたことはいちドラマファンの戯言ですが(大事なことなので2回目)、インタビューでは客観的な立場でお話を伺っていますので、ぜひ読んでください。

「大河ドラマ『光る君へ』の作曲家・冬野ユミが劇伴制作において譲れないこと」(cocotame、ソニー・ミュージックエンタテインメント運営)
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