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(音楽話)14: 槇原敬之 ”銀の龍の背に乗って” (2014)

【居場所】

槇原敬之 ”銀の龍の背に乗って” (2014)

マッキーもまた、最早説明不要でしょう。現在のJ-POPにおいて彼ほど聴きやすい発声で圧倒的な歌唱力を持っているシンガーは、中々いません。

娯楽という非常に広大な守備範囲において、映画にせよ、アニメにせよ、ゲームにせよ、SNSにせよ、それらの中に音楽は今も昔も入っています。しかし今現在、音楽はそれら各分野を彩るそれ以上でもそれ以下でもない存在であると思います。
例えば、現在公開中の大ヒット映画「鬼滅の刃 無限列車編」の主題歌、LiSAの”炎”。劇中ではエンドロールで流れていますが、映画の感動を観客がしっかり咀嚼できるように、観る者の心の震えを支えてくれます。素晴らしい構成・演出だとは思いますが、あえて言います、それ以上でもそれ以下でもありません。あの曲のメロディや歌詞は、少なくとも私の耳にはほとんど入ってきませんでした(映画、ちゃっかり2回観てます笑)。

何言ってんだ?と思われるかもしれません。映画において、その主役は勿論映像です、音楽ではありません。音楽は映像を補完するもの、映像を引き立たせるもの、映像の情感をより高めるもの、です。しかし、音楽が映像の世界を含んであまりある世界観を描いた時、その感動は飛躍的に高まるはずです。

私の大好きな映画のひとつに「ニュー・シネマ・パラダイス」があります。このラストで流れる”Se”は、公開から30年以上経ちますが、今でも聴くだけで涙腺が壊れます。この曲に歌詞が付いたヴァージョンもまた、誰かに歌われるだけでもうダメです。なぜ?その音楽があの映画の全てを思い出させてくれるから。その曲が単に映像の補完機能を果たしているのではなく、明確に、音楽があの映画を象徴して何度でも私の目の前でその世界観を広げるからです。

現代の音楽の位置付けは”Se”のようなものではない。だから”炎”はこの先何十年も語り継がれる楽曲になる可能性は低い。なぜなら現代はそれを求めていないから。
音楽が消費財として完全消費される時代ーーーその瞬間にだけ、その居場所がある存在。音楽は自らそのものだけで全てを語ることのできる場所を失ったと思うのです、基本的には。私はそれが寂しいと感じます。

この曲はフジテレビ系ドラマ「Dr.コトー診療所」(2003)の主題歌として有名な、中島みゆきの代表曲のひとつです。実は私このドラマほぼ観ていません。詳しいストーリーも知りません。でもこの歌はそれを補完するどころか遥かに凌駕する。非常に示唆に富んだ歌詞とスケールの大きなアレンジ。勝手な妄想ですが映像が見えてくるのです。素晴らしい。

そんな楽曲をカヴァーして歌うマッキー。恐ろしく旨い。サウンドも多様な音を出しながら楽曲のスケールを大きくしています。アウトロのギターは派手ではないものの感情が乗ってギンギンに響きます、弦が切れるほどに。もう完全にロックです。

これが正解、というものはありません。しかしこれだけは言える。
音楽は単なる消費財では決してない。私はそう信じています。

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