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第312回/クオリティ爆上げのB&W800D4シリーズに脱帽![炭山アキラ]

 B&W800シリーズのサウンドと初めて出合ったのは、1980年代の半ば頃だったろうか、と思って調べてみたら1987年だった。秋葉原で開催されていたナカミチの発表会である。当時B&Wはナカミチが輸入業務を手がけており、同社のセパレートアンプCA-70 / PA-70の完成披露イベントに、リファレンス・スピーカーとしてB&Wのマトリックス801が用いられていたのだ。70年代の末に発売されたB&Wの元祖3段雪ダルマ801から、キャビネットを大幅補強し、密閉からバスレフへ変更された製品で、ウーファーはまだ30cm口径だった。

ナカミチが輸入業務を行っていた頃のマトリックス801。
写真はシリーズ2だが、私が体験したシリーズ1と外観はそっくりだ。
このスピーカーにはリミッターが入っていて、
クラシックの強音一発では時折赤いLEDが発光していた。

 余談になるが、ナカミチのPA-70というパワーアンプは今思い返しても大変な意欲作だった。現在はパス・ラボラトリーズとファースト・ワットを主宰されているネルソン・パス氏がスレッショルド社に在籍していた折に発明されたSTASIS回路をライセンス取得の上で搭載し、大変なハイスピードとスピーカーの駆動能力を持つアンプだった。幸い観客の少ない時間帯に当たったもので、私も買ったばかりのCDをかけてもらったら、大変なサウンドステージの展開に感動したものだ。

 その時、ナカミチ側がベストポジションとして薦めていたシートでは少々音場が横広がりになりすぎるような気がして、一段後ろへ席を変更したら前後と左右の広がりが見合うようになった。その旨、生意気ながら同社の開発陣に話したらずいぶん感心してもらえて、「ぜひオーディオ評論家になって下さいよ」なんておだてられたことを覚えている。あの会場におられたエンジニア、あるいは広報の方は今、どうされているだろうか。いろんな変転があったけれど、私は今こんな仕事をしていますと、お伝えしたいものである。

ナカミチのパワーアンプPA-70。
当時好んでいた70~80年代マランツの濃厚な味わいに比べるといくらか薄味ながら、
現代アンプらしい超ハイスピードと反応の良さ、高解像度を持つ素晴らしいアンプだった。
当時40万円弱だったが、今作れば100万円ではきかないだろう。

 ダラダラと余談が続くが、その時かけたのはワルター・ジュスキント指揮/セントルイス交響楽団のホルスト/惑星だった。当時は米MMGからCDが出ていたのだが、その後VOXレーベルから米HDtracksにてハイレゾが発売され、今なおわがリファレンス音源として活躍してくれている。演奏/録音とも地味ながらなかなかのクオリティと味わいを持つ音源なのだ。ハイレゾは配信中止になってしまっているが、何とCDが近々再発されるとか。エバーグリーンな音源ではある。

 余談が過ぎた。その時に触れ合って感銘を受けたのはもちろんアンプばかりではなく、マトリックス801に対してもであった。いろいろな偶然も重なって、私はその後程なくオーディオ雑誌へバイトとして潜り込み、その後30年以上しぶとく居続けているわけだが、おかげでマトリックス以降の800シリーズはいろいろな機会に音を聴くことができている。

1974年録音のジュスキント/セントルイスによる「惑星」と「わが祖国」を収めた
2枚組CDが何と2021年12月23日に発売される。
指揮者も楽団も超一流とはいかず、発売だってマイナーレーベルだ。
それでもなおこの演奏と録音が選ばれるのだから、
やはり長年愛聴してきた身としてはうれしいものである。
タワーレコードで予約受付中だから、よかったら皆さんも買ってみて下さい。

 かつて編集部の一員でもあり、わが"本拠地"と定めていろいろ活動していた共同通信社オーディオベーシック誌の試聴室はノーチラス802が長くリファレンスを務めてくれていたし、知人宅で聴いたノーチラス801には、40cmウーファーの爆発力とそれに全く負けていない中~高域の浸透力、広がりに衝たれた。もっとも知人によるとノーチラス801、そういう音で鳴りわたるようになるまで大いに散財を強いられたとか。「とにかく"アンプ食い"で困ったよ」と苦笑いされていたのが記憶に残る。

 また、805にはダイヤモンド・トゥイーター以前から何かというと借り出し、イベントのリファレンスを務めてもらったのも一度や二度ではない。とんでもない大入力を入れるのでもない限り、ある種の万能スピーカーなのではないかと考えている。

805D4は一見してD3と顔つきが違う。正しくシリーズの末弟というべき存在感を持つに至った。
音はいわゆるブックシェルフ型全体の中でもかなり際立ったものがあり、
小型2ウェイでここまでの器の大きさを持つ製品はなかなかないのではないか。

 そんな800シリーズがD4へモデルチェンジされた。かねてより気になっていたところ、まとめて聴く機会に恵まれたので、いろいろとお伝えしていこうと思う。

 まず"万能スピーカー"805から話そうか。前作D3でも何不自由なく音楽を楽しめ、イベントでも活用させてもらったものだが、今作の進化ぶりといったもう絶句ものである。これまでバッフルが平らで後ろがラウンドした形状だったキャビネットが、後ろが平らで前が曲面の仕様に変更されたのが、外観上最も大きな違いであろう。問題はそのリアバッフルである。上級機は一足早く後ろ平面の馬蹄形断面キャビへ変更されていたが、その後面というのがフィン付きの分厚い金属製なのだ。これだけでキャビの剛性は激増し、ユニットの支点を支える力が大幅に強化される。そしてフロントが曲面になったことで音の伝わりが滑らかになるという効果も大きい。

 キャビネット内の音圧による悪影響を避けるため別室へ配されたネットワークは最もシンプルな-6dB/octタイプで、素子は単一電池もかくやというコンデンサーとゲンコツのようなコイルが収まっていた。ともに常識離れした大きさと品位の持ち主だ。常々価格にビックリする製品ではあるが、それだけの内実を持っていることがそこからもひしひしと伝わってくる。

 音質については、D3をお使いの人もおられる前でこういう言い方をするのはまことに忍びないのだが、もはや完全なランク違いである。まるで比較にならないと申し上げてよい。f/Dレンジ、解像度、力感、音の浸透力、芸術性、すべての面で圧倒的にD4が上回り、D3は本当に可哀想なくらいだった。本シリーズからB&WはD&Mと同じグループへ仲間入りしたこともあり、D3と比べてその内実から考えると信じられないくらい小さな価格アップにとどまっている。長年愛用されたスピーカーを買い替えるのは難しいものだが、805D3をご愛用の皆様は、今が買い替え時ではないかと愚考する次第である。

 さて、804D4へ話を移そうか。これもまたユーザー諸賢がお読みになっている前で大変失礼な物言いをお許し願うと、初期モデルからD3までの804というスピーカーは、805ほどの開放感は得られず、さりとて上級機ほどの余裕やパワーも今一つと、シリーズ内で陰に隠れたような存在と認識していた。いや、決して悪いモデルではない、周りがやりすぎとも考えられるのだ。

804D4は、散々どれにするか迷った挙句に月刊ステレオ誌の「私のベストワン」に選定した。
805も凄いが本機も前作比とんでもない向上ぶりで、D3における803同様、
本機も十分雑誌社のレファレンスとして使用できるクオリティを有している。
大した存在感である。

 ちなみにD2までは803も同じような印象を持っていたのだが、D3になって大幅に革新、802と肩を並べようかという力作に変貌してしまったので、結果的に804が取り残されていたような印象もある。

 その804がD4になって完全に"覚醒"した。さすがにスコーカーへは独立したノーチラス・チューブこそ与えられなかったが、805D4同様フロントが曲面になった馬蹄形断面のキャビが与えられ、もちろん金属製リアバッフルも搭載された。音は上級機と比べれば線こそやや細めだが、結構余裕たっぷりに低域を響かせつつ、中域はハイスピードで高解像度、ダイヤモンド・トゥイーターへ向けて実に闊達な伸びを聴かせてくれる。ユニット間相互のつながりも上々だ。

 その一方で、805のように低域をカットしないウーファー扱いのユニットと低域をカットして小さなキャビへ収めた804のスコーカーとでは、当然のことながら音の出方が全然違う。緻密かつ高S/Nで正統派ハイファイの804に対し、開放感と伸びやかさの805という風に表現することもできよう。これはどちらが正しい、間違っているというものではなく、好みでお選びになるのがよいと思う。ともあれ、いずれ劣らぬ大傑作だ。どちらをお買い上げになっても後悔されることはまずなかろうと、これには太鼓判が捺せる。

 お次は803D4だ。音元出版の試聴室にはいくつかのレファレンス・スピーカーが常駐しているが、おそらく最も多く用いられているのは803D3であろう。前述の通り803はD3で劇的な進化を遂げ、800や802でなくとも十分レファレンスの役を果たすようになった。導入された当初、すっかり802D3だと思って試聴に使っていたら、「これ、803ですよ」と編集子に訂正されたことがある。

803D4は、D3を長く聴き慣れていただけ、余計に音の違いが興味深かった。
間違いなく意図的な音作りであろうから、
その音にしっくりフィットする人との幸せなマリアージュを期待したい。

 そんなD3からD4に変わり、音質傾向は少しばかり変わったように感じられる。一言でいうと低域が若干量感を増し、ピラミッド型にマッシブな音形となった感じだ。決して嫌味のある音作りではなく、自然な末広がりといえばお分かりいただけるだろうか。

 というような音質傾向だけに、今次の803はD3ユーザーからするとちょっと面喰われるかもしれない。お買い替えの際には、販売店でよく音をお聴きになってから決断されることを薦める。「むしろこっちの方が好きだよ」という人、あるいはオーディオビジュアルにお使いでこっちの方が向いている、という向きも決して少なくないと思われるので、そういう方々は一度試聴してみられるとよいだろう。

 話題を802D4へ移そう。もうこのクラスになると、前述の通りダイヤモンド以前からリファレンスとして十二分のクオリティを有していたが、このたびはスコーカーのサスペンションを大幅に改良し、反応が極めて良くなったという。

802も昔のシリーズから聴き慣れてきた存在だが、
D4になって音の軽々と伸びるさま、音がどんよりせずスパン、パチーン!と決まるのが快感だ。
しかもそれを高度な貴族性を保ったままやってのけるのだからたまらない。
何てスピーカーだと舌を巻いた。

 再生音にもそれがはっきりと表れて、大変に軽やかでハイスピードの表現に痺れた。うむ、これはスコーカーだけでなく、ウーファーの反応も大幅に向上しているのではないか。これまで私は「フルレンジ、なかんずくバックロードホーンでなければ出せないスピード感がある」といろいろなところで書いてきたが、802D4を聴く限り、そろそろその看板を下ろさねばならない時期がきているのかと感じざるを得ない。

 また、後述する801と比べると、アンプに対して優しいことも特筆しておかねばならぬだろう。そういう意味合いも含めての、扱いやすさ込みのトータルバランスでは、今シリーズの中では802D4が最も高レベルかつバランスが良いのではないかと感じている。

 今シリーズの最高峰は、800ではなく801D4となった。これは、800シリーズの創始となった801という名を大切にしようという思いからだそうだ。個人的には、最高峰を801でとどめておけば、いずれまたもっと凄い作品が登場してくるのではないか、という期待もできるものだから、この名付けを歓迎したい。

801D4は高級セパレートアンプで聴いたのだが、
それでも「もっと、もっとパワーをくれ!」と飢えた狼のようなそぶりを見せる怪物だった。
一体どれほどの電力をくれてやったら微笑んで全力で歌ってくれるのだろうか。
購入された人はぜひともこの怪物を満足させてやってほしい。

 802と比べてもスケール感、余裕、爆発力、針孔の高解像度という面で801は優れている。しかし、「もっとだ! もっとパワーを寄越せ!」とスピーカー自体が叫んでいるような印象もあり、これは一筋縄ではいかない怪物だぞ、という印象が強い。一度テクニカルブレーン社のモンスター・パワーアンプTBP-ZERO/EX2あたりでパワーを食わせてやりたくなった。

801D4を満腹させるためにひょっとして有効なのではないかと考え付いたのが、
このテクニカルブレーンTBP-Zero/EX2である。
モノーラルで2台セット500万円になんなんとするアンプだが、
完全DC~100kHzフラットで群遅延なく再現できるとてつもないモンスターである。
8Ωで350W、4Ωで700W、2Ωで1,400Wを叩き出すという、度外れた強力電源も要注目だ。

 805D4の欄でも書いたが、今シリーズで最も瞠目すべきは、これだけの進歩・向上を果たしているというのに、価格はそれほど上がっていないことだ。こういう高級オーディオでこの言葉を使うのは憚られるが、コストパフォーマンスが劇的に向上しているのは間違いない。もちろん、決してポンと買える製品ではないと承知しつつも、これは決断のし甲斐がある製品群だと、心底思うのだ。どのクラスでも、これらを導入される人が私はうらやましくて仕方ない。

 なら買えばいいじゃないかって? 残念ながら貧乏ライターの身であることに加え、せっかく身についた「自作派オーディオライター」の肩書きを自ら下ろすのも、自作ファンの皆様へ申し訳ない。もちろんわが息子たち「ハシビロコウ」「ホーム・タワー」「イソシギ」ほかは、幸い自分の音の好みにぴったり収まっているし、これからも長く働いてもらおうと考えている。

(2021年12月10日更新) 第311回に戻る 第313回に進む

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炭山アキラ(すみやまあきら)

昭和39年、兵庫県神戸市生まれ。高校の頃からオーディオにハマり、とりわけ長岡鉄男氏のスピーカー工作と江川三郎氏のアナログ対策に深く傾倒する。そんな秋葉原をうろつくオーディオオタクがオーディオ雑誌へバイトとして潜り込み、いつの間にか編集者として長岡氏を担当、氏の没後「書いてくれる人がいなくなったから」あわててライターとなり、現在へ至る。小学校の頃からヘタクソながらいまだ続けているユーフォニアム吹きでもある。

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